ウォルト・グラッグ『ザ・レッド・ライン 第三次欧州大戦 上・下』(北川由子訳、竹書房文庫、2018年、原著2017年)B
冷戦期に軍人だった人物による米露戦争のシミュレーション小説。ならば小説部分はおざなりで、実質的に国際情勢の解説書のような本なのかというとそういうわけでもなく……
時代はプーチン政権が終わった後の近未来。ロシアではソヴィエトが復活し、ドイツではネオナチ勢力が台頭し――という具合に、過去の悪夢が次々によみがえって世情は物騒になり、国際社会は混乱を極めていた。そんな中、ナチス嫌いのソ連書記長の命令のもと、ソ連軍が突如としてドイツに侵攻を開始する。ヨーロッパの秩序を守るべくドイツに駐留していたアメリカ軍は、予期していなかった戦闘に完全に後手に回りながらも、それぞれが持ち場に踏みとどまって抵抗を続ける――という話。
最初はソ連軍が優勢なのだが、ドイツ各地で繰り広げられる米ソの局地戦は双方に有能な指揮官がいて一進一退の攻防が続く。とはいえそれではいつまでも終わらないので、後半では業を煮やした米ソの首脳が核爆弾の打ちあいを始めて大局的な勝敗が決まるという結末は、ガンダム的アニメ(終盤になって大規模破壊兵器が出てきてそれをめぐって最終決戦になる)のような展開でわかりやすい。
そして――本書は人間ドラマにも力を入れているのが特徴である。こういうシミュレーション小説は、えてして名前を与えられているのは指揮官レベル、前線の兵はただの集団として扱われて、たった一行で全滅するなどそっけなく語られることが多いのだが、本書は最前線の一般兵の闘いが、その心情から故郷の家族まで、これでもかとばかり詳細に描かれる。しかも作者がなかなか物語から解放してくれない。
たとえば上巻で部下を率いて獅子奮迅の戦いを繰り広げて、多くの部下を失い自身も重傷を負いながらも、辛くも生き残った男がいる。彼は下巻では病院に収容され、仲間の死に打ちひしがれるが、やがて彼らの分もこれからの人生を生きる決意をする。この場面はまことに美しい――その直後、病院が空襲を受けて、重傷で身動きもままならない彼はなんの抵抗もできずに死ぬ。
『進撃の巨人』もかくや、という無惨かつあっけない死が下巻では次々に語られ、このあたりの執拗さは「元軍人が老後に趣味で書いたシミュレーション小説」の範囲を明らかに超えて、悲劇的な物語を書くことへの欲望が感じられる。この著者、どうやら『ザ・レッド・ライン』のあとも長大な小説を書き継いでいるようであり、国際情勢専門家よりは小説家として活動したいんだな、ということが伝わってくる小説だった。
東野圭吾の最高傑作に推す声を何度か目にしていたし、なんとなくロマンチックなタイトルでもあるし、まあ誰でも楽しめるような無難なエンタメなんだろうと思って読みはじめたら、全然ちがった。
中心には悪意の塊のような二人の男女がいる。二人に巡り合った人々は、その不思議な魅力で惹きつけられ、彼らの導きでつかのまの幸せを得るが、やがてそれはすべてが罠で、自分がいつのまにか人間関係から社会的地位にいたるまですべてを失っていることに気づく。ストーリーは基本的にその繰り返しで、出てくる人物がみすみす不幸に陥っていくのを読者はただ見ているしかない。正直、ちょっと「毒」が強くて、そういうものを読みたい気分ではなかったのだが、さすが東野圭吾、止められずに一気に読んでしまった。
そんな風に周りを不幸にせずとも、二人ともいくらでも幸せになれるきっかけがあるのに、それを拒否するように悲劇を生み出していくところが哀しい。
(以下ネタバレ)
構成がうまい、という声をよく見たのだが、それがどこを指しているのか、具体的に書いている人がいないので、実はどの部分を指しているのかよくわかっていない。ミステリ書評はあまり詳しく書くとネタバレになってしまうので、よくこういうことが起きる。
思いつくところをあげれば、様々な視点人物から「悪」の姿が立体的に浮かび上がってくるストーリーテリング、裏でつながっていた亮司と雪穂が作中では最後まで直接顔を合わせないことなど、技巧のうえで目を引く点はある。
しかし推測するにやはり、二人が子ども時代に受けていた性的な虐待が最後の最後になって明かされるところだろう。宙づりのままだった冒頭の事件がそこでようやく解決するとともに、二人が「悪」となった理由もまたそこで明らかになる。
それが読者に衝撃を与えたというのは、理屈としてはわかるのだが、しかし正直、今となっては「またコレか」という思いは否めない。残虐な犯罪者に性的な虐待の過去があった、というのは、異常性格の便利な理由付けになって長い時間が経ってしまった。今だったらむしろ、鬼舞辻無惨や両面宿儺のごとく、「理由のない純粋悪」として描かれていたかもしれない。
ミステリの歴史に名が残るべき作品とはいえるが、一方で読まれ続けるにはやや厳しい、と思われる。