DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

田中啓文『チュウは忠臣蔵のチュウ』B、サイモン・カーマイケル『ノンストップ!』B

【最近読んだ本】

田中啓文『チュウは忠臣蔵のチュウ』(文春文庫、2011年、単行本2008年)B

 津本陽の『新忠臣蔵』を読んでいたおかげで、なかなか楽しめた。よく知られた『忠臣蔵』の読み替えのおもしろさが大半を占めるので、忠臣蔵についてほとんど知らない、という人にはいまいちかもしれない。あとがきでは忠臣蔵が年末の風物詩のように言っているが、10年以上経った今、それも遠い過去のことになってしまった。

 本作の背景にあるのは、松の廊下の刃傷事件は、浅野内匠頭吉良上野介の個人的な因縁をこえて、背後でうごめく徳川綱吉打倒の陰謀に利用されようとしていた、という考えである。しかし田中啓文なので話はストレートに進まず、黒幕の思惑も越えたドタバタが描かれる。深謀遠慮があるようで何も考えていない大石内蔵助のもとで、残された赤穂藩の人々は、籠城だの仇討ちだの恭順だのとその場の勢いでころころ意見を変える大石に振り回されながら、ただ目の前のことだけ見て好き勝手に暴れまわるのだ。

 しかしもちろん歴史は変わらず、本当は復讐など全然する気のなかった大石は、何かに操られるごとく、同志を引き連れて吉良邸へ討ち入りしていくことになる。そこへいたる躁病的なドタバタは、400ページもあると読んでいて時折ふっと虚しくなるのは、意図したことだろうか。

 ただ、一般には高潔と知られる人間が実はそうではなかった(あるいはその逆)、死んだはずの人間が実は生きていた、といったお話は、最近では歴史小説でよく見られる手法であり、そういう意味では新鮮さに欠けるきらいはある。

 田中啓文の特徴とされるエログロはかなり抑えられているとはいえ、ドタバタ喜劇のようでいてメインのキャラも時が来ればあっさりと死ぬ冷たさもあり、やはり間違いなく田中啓文である。

 ある程度忠臣蔵に詳しくなったうえで読むことをおすすめしたい。

 

サイモン・カーマイケル『ノンストップ!』(佐藤耕士訳、文春文庫、2010年、原著2006年)B

 平凡な日々を送っていた平凡な男トム・メロンのもとに、ある日友人から電話がかかってくる。彼は電話の向こうで今まさに殺されるところらしく、最期にトムの住所を呟いた。ほどなくしてトムの家は謎の組織に襲撃を受ける。わけもわからぬまま間一髪で逃げのびた彼は、自分をとりまく人びとの裏の顔を知っていくことになる。『ゴールデンスランバー』の映画でのんびりした風景から一転して必死の逃亡劇になるのに似て、急激な場面転換が良い。

 「サスペンス史上最速の体感速度を体験せよ」と謳うだけのことはあって、読みだしたら先が気になって、1時間半ほどで読み終えた。しかし、読後おもしろかったかというと、そうでもない。次から次への新展開、そして明かされる真実が、ことごとく重くて暗い。わずか2日間のドタバタ劇で、何人もの人間が死に、人の心の闇(まあ浮気とかだが)が暴かれる。そしてすべてが終わって、彼らが幸せになるわけでもない。このあたり、奥田英朗の『最悪』などの長編小説に似ているかもしれない。人びとはどん底まで落ちてから、ほどほどの幸せに戻る。その幸せというのは、この物語が始まる前よりもちょっと不幸という感じで、いまいち釈然としないのである。そういえば『最悪』もまた、息もつかせず一気に読めた。

 本作の場合、必ずしも完結していないのも良くない。トム・メロンの物語はこれでおしまいだが、脇役が次の作品で主人公になるという手法をこの作者はよくやるらしい。最後の方で、人を殺したままお咎めなしの警官など、伏線らしきものはいくつか残されているが、これがその後いったいどうかかわってくるか。訳されないと一生知りようがないのでまあ人気作家でいてほしいものだ。