DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

 ドラマの『三毛猫ホームズの推理』を観ている。5話くらい観てようやく慣れてきた。
 最初、ホームズがなんか太った猫だなあと思っていたらちゃんと理由があって、義太郎の前でだけ人間に化けて会話できるという設定なのだが、その人間形態がマツコデラックスなのである。確かに猫に演技をさせるよりは楽ではあろうが。
 しかしその他の設定も原作から色々変えられていて、石津が晴美にあからさまにアプローチをかけてうざったかったり、根本刑事が同僚というより義太郎のいびり役だったりといまいち変更の意図がわからないが、最大の相違点は義太郎兄妹に小説家の兄がいるというところだろう。
 原作では義太郎はなりゆきで父の跡を継いで刑事になって、血を見ると貧血を起こすという弱点を持ちながらもマイペースでやっているのだが、ドラマでは兄という「監督」の存在が、常に義太郎に名刑事となることを強制する。彼は毎回コンプレックスに悩み、失敗にめげながらも、ホームズにお説教を受けながら真相を追う。
 設定が変わるとこうも世界は義太郎に厳しくなるのか、という感じである。原作では「監督」にあたる人物は1巻目で死んでしまうし、辞表を既に出しているのに上司に黙殺されているので、自分が才能がないのに刑事をしているのは上司が悪いのだという、ある種の無責任さが生じて、居心地のよい空間が出来あがっている(何しろ課長が怒って言う台詞が「お前には定年まで働かせるぞ!」である)。それがドラマでは根本刑事に「刑事なんかやめちまえ」と言われるのだから大違いである。
 三毛猫ホームズシリーズはどの巻を開いても同じ世界がある、という評価をどこかで読んだ覚えがあるが、そういう懐かしい故郷のような安定感は、実はけっこう深い企みのもとに構築されていたということかもしれない。
 とはいえ慣れてみるとコンプレックスに悩みながらも頑張る義太郎役の相葉雅紀の姿はそれなりに微笑ましくもあり、割と楽しみになりつつある。別物として気楽に観たい。