DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

マイケル・バー=ゾウハー『ファントム謀略ルート』B、宵町めめ『龍宮町は海の底』B

【最近読んだ本】

マイケル・バー=ゾウハー『ファントム謀略ルート』(広瀬順弘訳、ハヤカワ文庫、1982年、原著1980年) B

 1980年の国際情勢を背景に繰り広げられる大仕掛けなサスペンス小説で、二つの物語が並行して進行する。ひとつはアメリカ大統領候補として強気な石油戦略を打ち出して注目を浴びるジェームズ・ジェファーソンの、選挙運動と彼が対決するOPECとの熾烈な駆け引き。もうひとつはノンフィクション作家クリント・クレイグが追う、ナチス崩壊の時にゲーリングが秘匿したという美術品の行方の物語。その謎に、第二次大戦時代に将校だったジェファーソンがかかわっていたらしいとわかったことで、二つの物語は絡みあって進んでいく。真相を探るクレイグとジェファーソンの娘・ジリアンは何者かによる妨害工作をくぐり抜け、戦時と現代を結ぶ真実へと行き当たることになる――

 ワシントン、パリ、ベルリン、ジュネーブ、メキシコのグアナハトなど世界各地を舞台にサスペンスあり、謎解きありで最後まで面白いが、35年前の事件の調査の進みが順調すぎるところに違和感があった。まあ460ページで話を収束させるためには仕方ないのかなと思って読んでいたら、実はそれも伏線のひとつですべてはジェファーソンを失墜させるためのOPECのお膳立てしたお芝居だったというのが真相で、わかりやすいけど個人的にはあまり感心しなかった。

 むしろキャラクターの魅力で読ませるようなところがある。なかなか仕事をしようとせず、どうせダメだろうと思いながら35年前の事件を調査し始めて、脈ありとみるや俄然やる気を出すクレイグはまあともかく、彼と敵対するジェファーソン――35年前の自分の過去と、父に疑念を抱く娘への愛情、スキャンダルにより崩壊しそうな選挙の行方に苦悩する彼に心情的に肩入れしながら読んでしまう。クライマックスで彼が大統領になることにこだわった理由がこの事件の真相を大統領権限で探るためだったと明かされたときこそが、ジェファーソンという人間のみならずこの物語を完成させる瞬間として秀逸だったと思う。そのほか、死後ミイラになって先祖とともに並んで安置されている男や、善良そのものという顔で出てきながら裏でナチスの秘匿した財宝を隠し持って生きていた男など、個々のエピソードはなかなか良い。クリント・クレイグの存在は、彼ら怪人たちを次々に見せるための狂言回しのような趣もある。

 変人のオンパレードのような作品でありながら、財宝の隠匿にかかわったとされるオットー・ブランドルとミシェル・スコルニコフはあとがきによると実在の人物らしい。あまり詳しくないのでどの程度「もっともらしい」のかはよくわからないが、そのあたり勉強してからいつか読み直してみたい作品である。

 謀略をめぐらすOPEC首脳が戯画的な悪の組織のように描かれるのが、イスラエルの作家であることを考えるとちょっと面白かった。

 

 

宵町めめ『龍宮町は海の底』全2巻(ガムコミックスプラス、2016年~2017年)B

 舞台は海底に広がる巨大な都市・わだつみ市。何の疑問も持たず平和に暮らす人々の中で、ある中学生の少女が外の世界への憧れを抱くようになる。外部からの侵入者に出会ったことで、彼女たちはいつしかその都市の成り立ちにかかわる秘密に迫っていくことになる――

 意外に込み入ってて難しい作品。ディストピアSFとしての構図は終盤で明かされるが、それまでの断片的に出てくる情報が曲者で、物語では普通「真実」を示すはずのフラッシュバックや回想のシーンが、実は少女たちが記憶操作を受けていたことによるフェイクであり、最後にそれが全部ひっくり返される。信用できるはずの描写が信用できないというのが、定石を外していてマンガのテクニックとして面白い。

 「信頼できない語り手」に似た視点からの物語なのでわかりにくいけど、真相をまとめると、地上は伝染病の蔓延により生活できなくなり、非感染者は海底の都市で生きることを余儀なくされている。政府はウィルスへの抗体を生まれつき持つ子どもたちを育て、地上での生活に適応した新人類(というよりは奴隷)として送り込むべく、少女たちを徹底管理のもと育てていた――ということになるのだろうが、都市の他の部分がどうなっているのかよくわからないため、いまいち少女たちの都市における位置づけがわからないところがある。

 ウェブ掲載時はカラーページがあったというが、単行本ではなくなってるのが減点。演出上非常に重要なのだが、kindle版では再現されているのだろうか。あとわだつみ市は海底というよりは海の中を生きるようなイメージなのだと思うが、表紙の印象に比してちょっと画面が暗く見える。

 少女二人の絆が物語の主軸なのだが、中学3年にしてもちょっと子どもっぽいのであまり百合という印象ではない。これは記憶操作を受けているせいという意図的なものなのかはよくわからない。ただ、2巻という短い巻数ながら、最初は活発な友人に引っ張られるままだった内気な女の子が、少しずつ関係性が変化し、友人が傷つき倒れた時に彼女に代わって反逆を起こす勇気を得る、という成長物語はとてもうまいと思った。

ウォーレン・マーフィ『地獄の天井』A、千葉貢『相逢の文学』C

【最近読んだ本】

ウォーレン・マーフィ『地獄の天井』(平井イサク訳、サンケイ文庫、1986年、原著1984年)A

 ベルリン、ワシントン、カリフォルニアを結んで繰り広げられる「現代史伝奇スリラー」。翻訳小説で伝奇とつくのは珍しい。

 時は1984年、主人公はアメリカ大統領のシークレット・サービスを務めていたロバート・フックス。彼はテロリストに狙われた大統領を守って重傷を負い、その場に居合わせた妻も巻き込まれて昏睡状態となる。引退してボディーガードを開業したフックスに舞い込んだ依頼は、ドイツからアメリカにくるネオナチ研究家のコール教授の護衛だった。初仕事に勇躍するフックスだったが、ワシントンのホテルに着くや教授はあっさり殺されてしまう。ベルリンに住むコールの家族にその報告に行った彼は、なにも得るものもなく帰国し、次の仕事にとりかかろうとするが、その時には既に彼を巻き込んだ巨大な陰謀が進行していた――

 最初は堅実な捜査活動が主で、280ページくらいまではゆっくりしているのだが、そこから話が急ピッチで動き出す。序盤に出てくる、「コールが戦時中に会った、名前しかわからない女性の行方」の謎が40年以上経った現在にどうかかわってくるのか不安だったが、最後の方で多少強引に真相が明かされる。まあネオナチ研究家が出てきている時点でヒトラー=ナチスの復活がテーマというのは何となく勘付くけれど、なかなかそこに結び付かないので見込み外れかと不安になった。エヴァ・ブラウンが別人に成りすましてアメリカに亡命し、ヒトラーの遺児を産み、彼は成長して闇の組織を背景にアメリカ大統領になろうとしている――という真相は、スティーヴン・キングの『デッド・ゾーン』(小説1979年、映画1983年)のような、狂気の大統領によって再び戦争がはじまるという恐怖と時期的にも同質のものとみえる。

 終盤の急展開までを保たせるのが、堅実に捜査をすすめる主人公のキャラクターであると思う。テロに巻き込まれて身体と心に傷を負い、妻も目を覚まさない状況でも前向きに仕事に取り組む姿はなかなかカッコいい。元シークレットサービスとしてそれなりに度胸もある。

 ただ問題は主人公が浮気者すぎるところで、妻の妹、コールの娘など、主要女性人物のほとんどに欲情している。終盤で妻の妹と結ばれるので、これは最後の最後になって妻が意識を取り戻す皮肉なオチかと思ったら、その直後に妻が意識が戻らないまま死亡ということになって、ちょっとどうかとは思った。

 ラストはこれから本当の戦いが始まることを予感させる、絶望的とも希望を持たせるともいえるもの。中盤までの堅実な描写、その後のアクション満載の急展開、ハードなラストと、テーマ的にも同時代であればそれなりに切実さもあったであろう、質の高いサスペンスを味わえる。シェイマス賞受賞作というのもその辺を評価されてのことだろう。

 

千葉貢『相逢の文学』(コールサック社、2016年)C

 副題に「長塚節宮澤賢治・白鳥省吾・淺野晃・佐藤正子」とあるので、淺野晃について論じているのは珍しいと思って読んだが、期待外れだった。淺野晃については、恩師である彼の『現代を生きる』の復刊に尽力したときの苦労を書いた後は、それに触発されたと称して文明とは何かとか現代を生きるとは何かとかいった問題を色々と考えるだけで、淺野晃について何か新しい知見が得られるわけではない。他も似たりよったりである。作品を引用してここが良いとか、ここは古典の述べるこの思想を体現しているとか、中国・日本の古典から現代思想まで参照していて幅広いのはわかるが、全体に当たり障りなく無難に過ぎる。大学教授とのことなので著者のファンならば楽しめるのかもしれない。あとがきによると解説を書いている鈴木比佐雄はコールサック社代表で著者とは友人らしくその関係で出たものか。

 まあ、副題に宮澤賢治が出ていることと、「相逢」が禅語であると帯にある時点である程度察するべきだたかもしれない。宮澤賢治を仏教思想で読み解くなんて話はたいてい鬼門でしかないのだ。

J・T・ブラナン『絶滅』A、新美健『明治剣狼伝』B

【最近読んだ本】

J・T・ブラナン『絶滅(上・下)』(棚橋志行訳、二見文庫、2016年、原著2014年)A

 考古学者が謎の構造物を地底に発見するプロローグに始まり、突然動きだす巨大な像、次々に人類に牙をむく鳥や犬たち、大津波大寒波など異常気象による大災害と、畳みかけるように世界中で異常な現象が続発する。世界規模の大混乱の果て、やがて物語は政府の陰謀、偶然にその真相を知ることになった人々、さらにその裏で暗躍する謎のカルト教団「惑星刷新教」の、三つ巴の戦いに収束していく。

 日本の作家で言えば松岡圭祐に近いだろうか。映像的な文章による高いリーダビリティ、壮大なスケールのハッタリ、次々に繰り出される派手なアクション、現れては消えていく脇役たち……鍵を握る秘密兵器は実のところ大したものではないのだが、偶然真相を知った一般人たちとそれを追う米軍の追いかけっこがなかなか良い。雪の森林をスキーで逃げ、遊園地をスナイパーから逃げ、市街地を戦車から逃げ、高層ビルの中を特殊部隊から逃げ、縦横無尽にあらゆるアクションを読ませてくれる。追手がどいつもこいつも人間的に未熟で、暴力衝動を満たすために軍に入ったような奴らが多いので、彼らが翻弄される様を見るのはなかなか痛快である。たった一作でここまでアクションをやってしまうと、他の作品でできることがなくなるのではないかと心配になる。

 これにストーリーの大半を奪われ、いまいち世界の危機的状況が実感しにくいきらいはあるが、まあそれはアクションを描くためのお膳立てに過ぎないだろう。鍵を握る秘密兵器「スペクトル9」は、自然界に存在する「第9のスペクトル」なる音波を発生させ、これを世界にまき散らすことで異常気象を起こしたり、原子構造を組み替えて巨大な像を動かしたりする――というやたら大雑把な兵器で、あまり真面目に考えているとは思われない。あと主人公も含め(途中で交代する)登場人物が結構あっさり報われもせず死んでいくので、食傷気味になるかもしれないが、とにかくスイスイ読めるし、読んでいる間はそれほど気にならない。

 どんなドタバタも終わらせなければならない以上、最後は普通に終わるのだろうと思って読んでいたら、ラスト30ページで真相が二転三転して、予想外のところで「あの伏線」が回収され、やられた!と思った。上下巻の大長編に対して変な言い方だが、よくできたショートショートを読んだ気分。

 時間のある向きにはおすすめしてみたい一作である。

 

 

新美健『明治剣狼伝』(ハルキ文庫、2015年)B

 本作で第7回角川春樹小説賞特別賞を受賞してデビューした新美健――その正体はアリスソフトの『戦国ランス』などエロゲーのノベライズで有名な沖田和彦・三田村半月である。……その他、細谷正充の解説に経歴がかなり詳しく書いてあるけど良いのだろうか。

 主人公は村田銃を開発した村田経芳。時は明治10年の8月頃、西南戦争が西郷軍の敗北で終わるのが決定的になっている中、村田に西郷救出の密命が下る。純粋に親友を助けたい大久保利通、西郷を助けようとしたという態度だけでも示しておきたい山県有朋、ジャーナリストとして英雄の死を劇的に演出したい福地桜痴など、曲者たちの思惑の中で旅立った村田は、集められた西郷救出隊と合流するが、早くもリーダーが殺されたり、道中で何者かに襲撃を受けたりと混迷の様相を呈し始める。果たして彼らは鹿児島にたどり着くことができるのか――

 正直言って物足りない。大阪から紀州街道を下り、山中宿で仲間と合流したあと、和歌浦から外海を渡航して九州へ、という旅が話のほとんどを占めてしまい、鹿児島潜入後の話は約320ページ中、100ページないくらいのものである。

 それは話の性格上仕方ないとはいえる。これは、明治という時代を受け入れられない男たちの物語なのである。主人公の村田とともに救出隊に加わるのは、元新選組斎藤一の他、新徴組や庄内藩、長岡藩の生き残りという、言ってみれば歴史の敗者というべき者たちである。彼らがそれぞれに独自の目的をもち、一方で仲間としての絆も深めていき、それがぶつかり合うことで悲劇が起こる――そういうドラマがおそらく主眼にあり、西郷本人は既に死を悟ったもののごとく、聖人のように描かれる(最終章タイトルが「西郷は巫女なり」というのもすごい)。どうもこの作品にも、昔からの西郷英雄観が支配的にすぎる気がするのが難点である。それならなぜあんな無様な負け方をしたのか、本作ではほぼ桐野利秋たちのせいになっているが、それは不公平というものだろう。救出隊の旅を描いたドラマは結構面白かっただけに残念である。

 ディティールとしては、村田経芳が出てくるだけあって銃の描写は詳しい。のちの有坂銃の開発者・有坂成章も出てくる。幸い『ゴールデンカムイ』のおかげでピンとくるものがあった(村田銃が出てくるし、有坂をモデルとしたキャラもいる)が、それがなかったらよくわからなかったかもしれない。

 こういう変わった視点を北方謙三が評価したというのは肯けるところであるが――個人的にはもっとドラマティックに、甲斐弦『明治十年』なみの大長編で読んでみたかった。彼らが出航した和歌浦の港は神武東征の上陸地であると示唆されたり、どうも日本神話の象徴があちこちに仕掛けられているらしいのだが、あまりそこまで深く調べるような気にはなれなかった。 

カール・A・ポージイ『嵐の演習空域』A、三好徹『風は故郷に向う』B

【最近読んだ本】

カール・A・ポージイ『嵐の演習空域』(山本光伸訳、ハヤカワ文庫、1991年、原著1984年)A

 翻訳者の山本光伸が、訳者あとがきの4ページ中2.5ページを「訳者あとがき」を書くことへの愚痴に費やし、残りで「読んでみたら面白かった」とちょっと褒め、あとは著者略歴を載せて終わり、ということで、読む前は不安だったのだが――読んでみるとなかなかどうして面白かった。

 テーマはハリケーンのコントロール実験という、割と珍しい冒険小説である。内山安二の科学まんが(コロ助の科学質問箱だったか)を昔読んだのを思い出す人も多いのではないか。あれは台風にドライアイスを大量に投下したら向きを変えて規模も大きくなり大被害になったという話で、それが1947年のこと。作中の説明ではその22年後の1969年にハリケーン・デビーにヨウ化銀投下実験を行い、台風が弱まったことを確認したらしい。本作はその後何年かを経た、再びのヨウ化銀投下実験への挑戦を描く。時代設定は明らかではなく、原著出版の84年とほぼ同時代と思われるが、1962年のキューバ危機がかなり身近な記憶として語られているので、70年代の想定かもしれない。

 主人公はハリケーン研究所の科学者たち。シェイクスピアの『テンペスト』に出てくる魔術師から名前を取った「プロスペロ計画」の実験中に、ヨウ化銀を投下する飛行機を軍事行動と誤解したキューバ軍の襲撃を受ける――というプロットは序盤で明かされるのだが、構成が凝っていてなかなか読ませる。襲撃を受けた時を「ゼロ時間」として、そこに至るまでとその直後の二つの物語が語られるのである。突然の研究予算の縮小宣告でプロジェクト凍結を余儀なくされた科学者チームが実験遂行に執念を燃やす物語、そして襲撃を受けた後にパイロットが軒並み死亡した中、生き残ったスタッフで台風の中飛行機で生還を目指す物語――この二つが交互に語られ、その行き来によってそれぞれの人間ドラマが立体的に浮かび上がってくる。

 狂気にも似た執念で政府を出し抜いて実験を実行しようとするリーダー、離婚した心の傷癒えぬまま実験に臨む主人公の科学者、その他スタッフそれぞれの恋愛や確執、そしてそれらすべてを飲み込んでいく国際情勢……主人公周辺のドラマはややメロドラマめいているものの、キューバ軍襲撃の悲劇まで一気に読ませる力をもっている。著者は気象問題を専門とする科学系のライターらしく、ディティールにもこだわっている。

 読んでて少し『シン・ゴジラ』を想起するのは、怪獣が大災害のメタファーでもあるからだろう。実際上のモチーフは作中でも言及される『白鯨』であろう。研究所長のヘンリー・ソレルは、それこそエイハブ船長よろしく台風の消滅へと執念を燃やす。エイハブは白鯨によって脚を喪ったが、ソレルは1969年のハリケーンカミーユにより家族を喪っている。

 台風と人間の戦いを軸に、キューバ軍とアメリカ軍、研究者の倫理鳥論、国家と個人、元妻とその恋人など、たくさんの対立軸をかなりうまくまとめ上げている。終わりもさわやかで、映画化してみてほしい一作である。

 

三好徹『風は故郷に向う』(中公文庫、1975年、単行本1963年早川書房)B

 時は1959年7月、キューバ革命の年。極東自動車社員の清川暁夫は、突然の社命でキューバに商談のため赴任することになる。だが彼には気がかりなことがあった。日本を発つ直前、妹もまた新婚旅行に出発したのだが、その直後に婚約者らしき男をいるはずのない東京で見かけたのである。妹とともに旅に出たのではなかったのか? 困惑のうちに出発した彼は、移動中に妹夫婦が失踪したとの知らせを受ける。だが革命下のキューバでは電報一本打つことももままならず、焦燥の清川の周囲でも不可解な盗難や殺人事件が起き、革命政府に反抗する巨大な組織の存在が見え始め、彼は知らず知らずのうちに巨大な陰謀に巻き込まれていく。

 革命下のキューバが舞台とはいえ、もちろん日本人がカストロの依頼で大活躍、というようなご都合主義的展開はない。基本的にはハバナを舞台になんとか日本と連絡を取ろうとする主人公の右往左往が描かれ、どうも地味であるが、そこをリアルと言ってよいものか。このドタバタが清川のキューバ赴任や妹の結婚も含めて、ある組織がキューバの高官を亡命させるためのパイロットを国外から用意するためのものだったというのは、大がかりすぎてちょっと無理があるような気もする。冒頭で触れられる「戦時中は海軍航空隊の飛行機乗りだった」というのが最後になって利いてくるのは感心したが。

 ちょっと驚いたのは、最後に実在の人物がひとりかかわってくること。カミーロ・シエンフエゴス・ゴリアランという、初めて知ったがゲバラカストロと並ぶ英雄なのだとか。革命では主導者的位置にいたが、革命後ほどなく航空機事故で死去。事故か謀殺か、謀殺とすればアメリカによるものか、あるいはカストロによるものかなど、真相は今も謎らしい。作中では彼の死はカストロによるものと示唆され、カストロについてはその他にも絶大な人気を利用してライバルを蹴落としたり、彼の勝ちの陰で殺された無実の人々の声が描かれるなど、どちらかといえばカストロに批判的なのが、のちに『チェ・ゲバラ伝』を書いたほど入れ込んでいる著者にしてはちょっと意外。

 発表当時は高く評価されたらしく、解説の石川喬司によると昭和38年度の推理小説ベストテンの第3位だったらしい*1。革命が起こる前は「マンボとルンバの国であり、バナナボートの故郷」(p.14)でしかなかったキューバの実像を小説の形で伝えるということで、情報小説として評価されたものであろうか。

*1:ちなみにベストテンのリストは、1 河野典生『殺意という名の家畜』 2 中薗英助『密航定期便』 3 三好徹『風は故郷に向う』 4 戸川昌子猟人日記』 5 水上勉飢餓海峡』 6 星新一気まぐれ指数』 7 鮎川哲也砂の城』 8 結城昌治『夜の終る時』 9 陳舜臣『天の上の天』 10 佐野洋『蜜の巣』

 今でも評価が高いものといえば映画化もされた『飢餓海峡』になると思うが、それより順位が上なのだからすごい。2位の中薗英助も日本におけるスパイ小説の先駆けであり、同年がジェームズ・ボンドシリーズの映画第一作『007  ドクター・ノオ』が日本で公開された年でもあることをみると、ちょっとしたスパイ小説ブームが起こっていたのかもしれない。

【最近読んだ本】

W・R・ダンカン『女王のメッセンジャー』(工藤政司訳、ハヤカワ文庫、1984年、原著1982年)B

「女王のメッセンジャー」(queen's messenger)というのは、イギリスで機密書類の運搬を担った国際的なネットワークのことである。実在する組織で、現在も存続しているらしい。

 中心となるのはこの組織に属する運搬者――メッセンジャーたち。その一人が香港からイギリスへ機密書類を運ぶ途中に突然失踪し、MI6のエージェント・クライヴが行方を捜索することになる。それと並行し、問題の機密書類を送り主であり、以前から貴重な情報を無償で提供してきた謎の男――チャーリー・エクスカリバーが東南アジアの密林を彷徨する。二つの物語を軸にMI6、KGB、CIAが熾烈な駆け引きを繰り広げることになる。主な舞台がバンコクというのが、当時としては珍しい趣向だろうか。

 刊行が1982年で、作中で鄧小平がシンガポールに接近して情勢が変わる見込みが語られている(「中国人の天才首相がシンガポールの町をすっかり掃除しちゃう」だろうというセリフがある(p.104))ことから、ほぼ同時代を描いていると思われるが、序盤は最新の国際情勢解説というより、東西の諜報機関が入り乱れての頭脳戦といった趣である。

 だが後半になると話がやたら陰惨になってくる。暗殺やマインドコントロール、拷問などにより次々に人が死に、その中には何も知らない民間人も含まれる。結構よいキャラもいるのだ――主人公をなぜか慕って色々助けてくれる現地のタクシードライバーの若者や、彼の友人の用心棒、あるいは消えたメッセンジャーの目的を探るために誘拐された娘など、いずれもプロのエージェントを相手に気丈に立ち向かうが、組織の駆け引きの犠牲となりあまりにも無力に殺されていく。中には憤死に近い死に方をする者までいて、ずいぶん後味が悪い。このあたりはジェームズ・ボンド的なスパイ小説へのアンチテーゼといえるかもしれない。

 徒労とも思える心理的・身体的な凄惨な戦いの果てに明かされるチャーリー・エクスカリバーの正体は、アメリカ人脱走兵という社会派的なオチ。全く予測できなかったが、密林の中をさまよって現地人や仲間や敵と遭遇していくのを読んでいる内にピンと来る人もいるのだろうか。とはいえ暗い展開が続く中では、この意外感は救いにはならなかった。

 物語として質が高いのは確かだが、カタルシスが犠牲にされてしまっているのは残念。

 

 

松本次郎『熱帯のシトロン』全2巻(太田出版 fコミックス、2001年)A

 ベトナム戦争の時代。写真家志望の青年・双真(ソーマ)は、クスリの幻覚の中で見た女の姿を追って、三月町という奇妙な町に迷い込む。「ソーダ」という幻覚剤が蔓延し、代々の巫女が支配するこの町で、ソーマは女の正体を求めてさまよう。しかし近く訪れるという「カーニバルの日」を目前に、町の実権を握る謎の男・ウサギへのレジスタンスの反乱が起ころうとしていた……

 松本次郎の描く埃っぽい退廃した町は、山本直樹『レッド』や藤原カムイ大塚英志アンラッキーヤングメン』の端正な絵より、あの時代の雰囲気に合っているかもしれない。序盤のハードボイルドな雰囲気は、河野典生石原慎太郎あたりに通じるものも感じる。

 しかし現実と幻想が混じりあうサイケデリックな展開に入れば、それはもう松本次郎としか言いようがない展開に突入する。セックス、ドラッグ、バイオレンスの、自分は行きたくないが何度でも読み返したくなる世界。読み返すたびにさりげない伏線が色々見つかるのがうれしい。

 読んでいる間は行き当たりばったりなカオスに見えるが、最後は意外にきれいに終わる。このセンチメンタルなラストは松本次郎ファンには好みが分かれるとは思うが。

【最近読んだ本】

ジョエル・スワードロウ『コードZ』(河合裕訳、1981年、原書1979年)A

 時は1975年、アメリカ大統領ジェラルド・フォードは、テロへの迅速な対応のため、大統領直属のテロ対策エージェントを設置する。コードZと呼ばれるそれは、ひとたび指令が下されるや超法規的権限でもって事態の解決に向かうことになる。そして1977年、ハッチキンズ大統領の時代。イギリス、ドイツ、ノルウェーへ向かう3機の旅客機に爆弾が仕掛けられたとの情報が入り、コードZ担当官のダニエル・ホーガンが初の出動となる。

 最初は失敗したかなと思った。著者はジャーナリストとのことで、ほとんどの著作はノンフィクションである。解説でもリアルな国際情勢を評価していたから、通俗的な国際情勢本に時々ある、シミュレーション小説のような退屈なものを予想したのである。実際、コードZ担当官たるホーガンは、CIA所属で学位をいくつも持ち、公表されていない特許も大量にあるエリートである。自宅には執事がいるというスパイでは珍しい金持ちでもある。彼がハリウッド映画のヒーローさながら、国務長官と対立しながら見えざる敵に立ち向かうわけで、序盤は頼もしく安定感があったため、教養と機転と行動力を武器にこの調子で圧倒して終わるのかと思っていた。

 だが奮闘むなしく一つ目の爆弾が爆発し、そこから俄然面白くなってくる。突如としてホーガンの屋敷が爆破されて誘拐されたのを皮切りに、謎の美女の暗躍、政府内部に入り込んだ内通者、裏で事態を操る黒幕、ブルーカラーに化けて街に潜む殺し屋など次々に現れめまぐるしくなる。

 ストーリー展開は、どちらかというと素人っぽいかもしれない。敵側の有能な工作員があっさり切り捨てられたり、思わせぶりなキャラが特に見せ場もなくあっけなく死んでしまったり、死んでないと思っていたらいつの間にかいなくなっていたり、そもそも初任務で何の実績もない"コードZ"ホーガンが異様に敵組織に警戒されて、彼をターゲットにした対策がいくつも講じられたり。しかしその分後半の展開はめまぐるしく予想できないものになっている。

 それを支えているのが、著者独特のアイロニカルな視点である。たとえば一個目の爆弾を処理するために呼ばれた、地元にいた「爆弾処理のエキスパート」。地元では英雄となっている彼であるが、彼が活躍していたのは第二次大戦中の話で、その後は「大戦の英雄」の名声のみ得て平穏な生活をしていた。そしてこの男は、呼ばれて出てきたのは良いが、知識は当時のままで全くアップデートされていないから、これ見よがしな導線を躊躇なく切るという、今どき我々でもしないような暴挙に出て爆発・即死してしまう。たったひとこと確認しなかったばかりに、大戦を爆弾処理に従事しながら強運で生き抜いて、その後送るはずだった平穏な余生が消し飛んでしまう――というのはあまりにブラックなジョークだが、こうした「ちょっとした選択やすれ違いが取り返しのつかない結果を生み出す」という「哲学」が全体を通底し、物語を魅力的なものにしている。特に終盤、あるキャラがその死を悟った瞬間、数秒間の後悔と時間を巻き戻そうと苦闘する意識の描写は圧巻である。一方で重要なキャラが話の上でのみ殺されていたりもするが……

 黒幕の正体は(多分)はっきり明かされずに終わり、少し続編を期待させる終わり方だったが、書かれずに終わったようで残念である。

 

 しかし、最初から伏線張ってた「ロンチェック」なる謎の言葉、明かされると大したものではなかったのだが、さすがに航空会社のスタッフはわかったんじゃないだろうかと思った。

 

 

群竹くれは『城と天才と私 初恋の価格は国家予算!?』(ビーズログ文庫、2014年) B

 土木ファンタジーラノベ……とでもいうか。そんなジャンルは他には葦原青の『遙かなる虹の大地』とか、思い切り範囲を広げて小川一水の『第六大陸』くらいしか思い浮かばないが。

 イタリアあたりを連想させる商業都市国家で舞台で、その都市の実権を握る銀行家の娘が、ダ・ヴィンチあたりを意識しているのであろう天才青年と組んで、新しい都市の建設計画をたちあげる。

 都市計画の発案から議会の承認を得て建設が決定するまでを描いていて結構面白い。面白いといっても欠点がないわけではなく、何しろラノベ的な時間スケールなので、ひとつの都市建設が一年くらいで実現されてしまう。たった数ヶ月でそれまで存在もしなかった都市建設が始動してしまうというのはちょっと非現実的に過ぎるし、都市の主要な輸送手段が馬だったのを水路による輸送に移行するため、湿地を干拓して水路を張り巡らした都市を造ろう――というアイデアを、主人公の天才青年が出すまで誰も思いつかなかったのかとか、その後の調査や計画完成が1ヶ月程度で終わっているらしいとか、まじめに考えると他にも色々突っ込みどころはあるのだろうが、建設計画を議会を運営する商人たちに認めさせる過程の根回しがドラマとして描かれていて、そちらを楽しむものだろう。

 むしろ難点はコメディパートの寒々しさで、主人公の少女が腐女子の男性恐怖症で、理想の恋愛シチュエーションをこっそり小説に書いている(その小説を天才青年に見られて、それを人質にされて青年の夢に手を貸すことになる)のだが、その辺の描写がひどすぎて読むのが恥ずかしくなる。

 どうも数年と待たずに都市は完成するらしく、その後の物語も構想はあったらしいのだが、続編は出ず。

【最近読んだ本】
三好徹『旅人たちの墓石』(徳間文庫、1982年、単行本1977年角川書店)B
 舞台は1973年のチリ。「赤いアジェンデ」政権に対するピノチェト将軍のクーデターを背景にした国際サスペンス小説である。解説で、アジェンデ大統領はカストロから贈られた小銃で自殺したという説がある、などと言っていたので、その真相に日本人がかかわるのかと思ったら、さすがにそれはなかった。それどころか、日本人のみならず当事者のチリ国民さえもチリ・クーデターにおいては傍観者に過ぎず、東西冷戦のせめぎあいの中で翻弄されるだけである。
 主人公の新聞社特派員がクーデターの勃発を目の当たりにする中で、背後にあるCIAの巨大な陰謀の存在に気づいていく――という筋であるが、変にひねらないで混乱のサンチャゴ市街を描いてほしかった気がする。クーデターの気運高まる市街で頻発する暴動、生死の危険をかいくぐる大冒険、そのさなかでの美女とのロマンスといったスペクタクルが、すべてアジェンデ政権の腐敗を過剰に印象付けてクーデターを正当化するためのCIA演出の芝居であったというバカバカしいオチは、考えてみれば五木寛之の『蒼ざめた馬を見よ』と同型であり、おそらくこのパターンの物語は当時たくさん書かれたのであろう。
 結局のところ、国際社会の背景には常に米ソの争いがあり、ラテンアメリカも日本も、どのような理想を持とうとも彼らの都合で押しつぶされていくだけという無力感。主人公がその中で「真実」を垣間見るがのが、この状況でのせめてもの「抵抗」ということになるのだろうか……


御園生みどり『姫の婿取り はじまりはさかしまに!』(ビーズログ文庫、2015年)A
 戦国時代の小国を舞台に、婿探しをすることになった領主の孫娘(実は男)と、それに現れた求婚者の剣士(実は女)が繰り広げるラブコメディ。心理描写が丁寧で、その分進みが遅い印象があるものの、一巻でうまくまとめている。求婚者のライバルイケメンがダークサイドに堕ちたあげくかませ犬として終わるのがちょっと哀れだが、全体的には平和に落着する。ヒロインは領主を裏切った婿の子で、男の子として生まれると殺される運命にあったので母が領主にも内緒で女子と偽って育てたとか、かなり凄惨な殺し合いが裏にあったりするし、作中でもあわや合戦になりかけたりもするが、波乱を迎えながらうまくおさめてみせている。
 男装・女装ものラノベとして見ると、二人とも何年も男装/女装して生きてきたせいで、むしろ女/男に戻った時に戸惑いを感じているのが面白い。ふつうは異性の体になったことへの戸惑いを感じる話が多いのを考えると新鮮である。
 続編が読みたいと思ったが、作者はこの一作でえんため大賞特別賞を受賞したきりで沈黙したらしいのが残念。古本で買ったため特典ペーパーがなかったのだが、内容は何だったのだろうか。後日談だったらぜひ読みたいものだが。