進化論の思想的影響
「進化論」という発想は社会主義の心の支えになっていますよね。動物でさえ進化するのだから、人間社会も進化・進歩するに違いないというのが社会主義者の考えですから。「進化論」は科学に対する信仰を強め、キリスト教に対して否定的な考えを強める傾向があった。
―「20世紀とは何だったのか」なだいなだ・小林司、朝日選書(p.77)
evolutionは「進化」と訳されたために、
「進歩」というニュアンスに取られ、「進化すること」=「良いこと」に誤解されてやすい、
というのは、進化論の講義では最初から最後まで何度も聞かされる話で、これは日本人が誤訳したのかと思ってしまうが、
元々evolveが進歩するという意味だし、実際は世界中どこも同じらしい。
ちなみに日本の進化論の受容について調べると、
大塚英志の「更新期の文学」(春秋社)によれば、
進化論は明治期に既に紹介されており、特に社会ダーウィン主義とも呼ばれるスペンサーの「社会進化論」関連の著書は、明治15年には20冊以上も翻訳され、
物理的・有機的・社会的現象の一切を「単一原理」により説明する「進化論的な総合哲学」として期待されていたらしい。
これを大塚は、
明治の作家をちょっと調べると誰から入っていっても、このスペンサーの社会進化論に行き着いてしまうのは事実である。(p.15)
とまで言い切っている。
たとえば彼によれば、柳田國男の民俗学は、日本列島での先住民と征服民の生存競争として歴史を認識している社会進化論の産物であったという。
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ところでこの「進化」=「進歩」という誤解の危険性は、実のところ僕には具体例として上の社会主義や優生思想程度の、どこか遠い話題しか思いつかなかったのだが、
ササキバラ・ゴウが「教養としての<まんが・アニメ>」(講談社現代新書)において、
富野由悠季がガンダムで示した「人類のニュータイプへの進化」というビジョンを批判して、
より良く生きたいという倫理的・道徳的な要請を、進化と言う生物学的な次元で解決しようとするのは、もちろん筋違いである。ここには、「進化=良くなること」という誤解がある。進化は、「良い」などという人間独自の価値判断とは無縁のものだ。単に淘汰をいう競争のプロセスを表現したものであり、淘汰の中では誰も価値判断などしていない。
もししているとすれば、神だけである。
こうして富野は、無意識のうちに神的なものを作品に取り込んだのだった。(p.213-214)
と論じているのを読んで、意外と身近なところまで誤解された進化論思想が影響を与えていることに気がついて、
ああなるほどというか、これでようやく今までの進化論の講義とか上に挙げたような文章やニューエイジ系の本などが、
思想史上の文脈として、自分の中で一つにつながった気がした。
しかしそう考えると、ガンダムは最新作「ガンダム00」においても相変わらず「イノベイター」とか「変革」とかやってて、
全然進歩していないことになるのかな。
20世紀とは何だったのか―マルクス・フロイト・ザメンホフ (朝日選書)
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