DEEP FOREST/幻影の構成

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 大佛次郎の『由比正雪』(徳間文庫)を読んだ。上下巻。
 江戸時代、軍学者由比正雪は私塾を開き、3000人近い門弟を集めていた。彼は徳川家光の死の直後を狙って反乱を画策するが、実行を目前にして発覚してしまい、一味は自殺する。
 史上名高い慶安の変の首謀者・由比正雪をメインに描くのかと思ったら、彼よりも彼にかかわった人たちのエピソードが多い。徳川家光なんか、死の間際に女を求める場面しか描かれないなど、権力者は脇役としてしか出てこない。しかしそうした庶民視点の場面の積み重ねから、江戸の社会の裏面が明かされていく。
 由比正雪の反乱の動機は、自殺してしまったせいで謎に包まれている。本書は豊臣軍の残党の反乱と、浪人の増加による社会不安を置いている。そのため物語は島原の乱から始まるが、これも豊臣家の家臣が裏で指揮を執っており、キリシタンの反乱としては描かれない。
 しかしまあ、『鞍馬天狗』の作者だけのことはあって、全体的にチャンバラ小説としての印象が強い。戦に負けて逃亡生活を送りながら、敵が近くを通ると聞いて狙撃しに行く男とか、島原の城に密かに潜入する伊賀の生き残りの忍びの老人とか、ほとんどラノベ的な格好良さである。その分ハラハラしながら一気に読めた。
 ただ、由比正雪たちがなぜ反乱を起こすに至ったか、その切実さがあまり伝わってこなかった。浪人たちが元気よく切り合いばかりしていたせいかそれほど武士たちが困窮しているようには見えなかったし、そもそも浪人側の中心人物の金井半兵衛(実在の人物)が、反乱に終盤まで否定的なので、由比正雪側に大義名分が見えにくい。
 また、権力者側から由比とともに反乱を起こそうとした徳川頼宣は、単に平和な世に争いを求めただけとして描かれ、変を鎮圧した老中の松平信綱も、彼らを小物と見て、むしろ彼らを口実にその背後の危険分子を弾圧しようとしていたように描かれている。
 何より由比自身が、島原の乱でよくわからない男として出てきた後、一気に物語が10年経って有名人になってしまい、それまでに何があって、なぜ反乱を企てるようになったかがいまいちわからない。理念を語らせると社会主義的な薄っぺらいものでしかない。ために、陰謀の発覚後は、徳川頼宣に脱走をすすめられても、とにかくやるんだ、やると決めたからには発覚してもやめるわけにはいかない、という、カッコ良く描かれているが実際はただ融通の利かない印象の人物になってしまっていた。
 まああれだけ大掛かりに準備をしながら反乱を起こせず切腹、という肩すかしなラストだと、読者にカタルシスを与えるような終わり方にするのは難しいのだろうが。それは今度読む予定の大塩平八郎の乱なども同じかもしれない。
 記録によると続編に「慶安異変・由比正雪続編」という、残党の闘争を描いた作品があるようだが、単行本になっているかどうかは不明。どうやら全集でしか読めないようである。なぜかあとがきで展開がネタバレされているのだが。

由比正雪 (下) (徳間文庫)

由比正雪 (下) (徳間文庫)