DEEP FOREST/幻影の構成

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 井出孫六の『アトラス伝説』を読んだ。
 著者は秩父事件1884年自由民権運動下で起こった農民反乱)についての著作で知られ、本書は「非英雄伝」で野口英世、「『太陽』の葬送」で大橋佐平(雑誌「太陽」の創刊者)、「アトラス伝説」で川上冬崖(幕末〜明治期の洋画家・写真家、政府のもとで北海道調査を行った)について、彼らそれぞれの生涯を創作もまじえて描いている。といっても自分の知識ではどのあたりがフィクションか全くわからないが、たとえば「『太陽』の葬送」は大橋佐平の息子を語り手としており、これは明らかに創作である。なお、三つ目の「アトラス伝説」は1975年の直木賞をとった。
 本書所収の三作品に共通しているのが、 歴史に埋もれた無名の者たちの生き様と、それに対する深い共感である。有名な野口英世については彼本人よりも彼に尽くした友人に焦点が当たっており、あとの二人もあまり知名度は高くないだろう。
 特に興味深かったのが「アトラス伝説」の川上冬崖である。彼は幕府と明治政府両方で洋画家・写真家として活躍しており、維新後は山形有朋、大久保利通木戸孝允といったそうそうたる面々が策謀をめぐらせる影で、北海道や東北地方の調査および地図作成に従事し、権力闘争に巻きこまれて殺害される。維新の裏面史となっている。著者は彼の行動の裏に、志なかばにして非業の死を遂げた佐久間象山の遺志を読み取り、西洋画をモチーフにした作品によって幕末の英雄たちを忘れ去った政府の元勲たちを告発したとしている。
 綱淵謙錠などと比べると、史料など客観的事実をあまり前面に出さず、あくまで中心人物の内面から描き出すという体裁で、明らかに研究書としてよりも読み物としての楽しさを追求している。少々主人公への思い入れが強すぎて時折ひいきし過ぎるきらいはあるが、周りの人物も決して悪役だけで終わるものではなく、それぞれ個性的に描かれている。日本近代の裏面史を描いた本として興味深かった。

アトラス伝説 (1981年) (文春文庫)

アトラス伝説 (1981年) (文春文庫)