DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

スティーヴン・ギャラガーの『扉のない部屋』(高橋健次訳、角川ホラー文庫、1994年刊、原著Stephen Gallagher "Oktober",1988)を読んだ。


 面白いのに読んでいてあまり楽しくないという、珍しい小説である。
 物語はスイスの山奥にある、大手薬品会社の研究所で始まる。研究所にうっかり迷い込んだある男が、警備員のミスで瀕死の重傷を負うが、そこで開発されていた新薬を投与され蘇生する。男は薬の研究の実験体となって田舎町に住居をあてがわれるが、その頃本社では内紛が起こり、新薬のプロジェクトも存亡の危機に立たされ、男や研究者たちは否応なしにその争いに巻き込まれていく。一方、男自身は薬の影響で不思議な夢を見るようになっていた。現実とも幻ともつかない光景は一体何を意味するのか?
 一言で言えば、小悪党たちの巻き起こす大騒ぎ、というところか。事態の全体を見通すような大物は出てこず、一人ひとりが目先にとらわれたたくらみのために行動を起こし、それが周囲に波及して悲喜劇が起こる。どの人物もパズルのピースの一つに過ぎず、ニート同然のダメ主人公をはじめ、彼を篭絡しようとする元事務員の女性、どこにも就職先がない天才ハッカー、研究所への復帰を目指す女性研究員、会社の権力掌握を目指す社長令嬢、薬を投与されて知能らしきものを持つに至る実験動物の犬たちなど、これだけ見ると『とある魔術の禁書目録』の外伝でも始まりそうな多彩キャラたちが入り乱れ、複雑に絡み合い、次々と謎が提示され、そのほとんどは最終的に解決される。大きく分けて二つのコンビが登場するのだが、メンバーが入れ替わったり仲間割れしたりといったシークエンスもしっかりしている。男の見る夢の世界はサーカスやカーニバルがモチーフとなった視覚的な描写が主で、まどかマギカの異空間を彷彿とさせたりもする。
 群像劇的なこの物語が、高い小説テクニックのもとに成立しているのは確かなのだが、たとえば同様の趣向を持つ成田良悟の『バッカーノ!』や『デュラララ!!』のような作品と比べると、まったく爽快感がない。出てくる人たち、みんなが優柔不断で気弱、高い自己評価に反して基本的に無能、保身にしか興味が無い、危なくなればあっさり裏切る、という有様なので、彼らが幸福になろうと不幸になろうとあまり楽しくないのだ。
 こういう、すべてのキャラが善玉か悪玉かいつまでもはっきりしない物語というのは、読んでいてどうにも居心地が悪い。おもしろいエンタメ作品というのはこれが序盤に確定することで世界に安定感を与える。この善玉/悪玉の二分法はキャラクターの表面的な行動に左右されないものである。『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュはどれだけ悪人ぶってみせても結局のところ善人であることは視聴者には自明であり、『デスノート』の夜神月やL、ニアはどれだけ正義っぽい行動をとろうとも必ず裏がある。メロはどれだけニアに敵対しても、結局善人なので最後には助けてくれる。
 事後的に形成されるにせよ、こうした善玉/悪玉の区分は物語を明快にするひとつの根源的な基準となりうるのだが、この作品では最後までそれがないために足元が定まらない。現実にはそういうものなのかもしれないが、物語でそれをやるとなかなか面白くならない。確定しかけた善玉/悪玉の構造を破壊することで面白さを出しているのが、最近見た範囲ではたとえば『ヱヴァQ』や『まどかマギカ新編 叛逆の物語』、大河ドラマの『龍馬伝』や『平清盛』の後半などが思い浮かぶが、これらはある程度キャラの善玉/悪玉の属性が確定した上で、それを揺らがせることが面白さにつながっているといえる。最初から最後まで確定しない場合、あまり成功した例は思い浮かばない――赤川次郎の『魔女たちの黄昏』や、キャラとしては吉川英治宮本武蔵』の本位田又八だろうか。現在進行中の『コードギアス 亡国のアキト』はキャラの善悪の不確定性がギリギリ面白さになりえている例かもしれない。もちろん文学作品に目を転じれば色々あるのだが、別に本作には深淵な考察はなかったし、そういうものを求めて読んだわけでもなかった。
 ただその分、こういった物語の場合、各キャラクターの善悪への振幅のスリルが読者にページをめくらせる原動力になっている、ということはあるかもしれない。個人的にはあらすじからドラッグホラーを期待したのだが、ドラッグ自体は特に何が明かされるわけでもなく(服用者の精神の共有などの現象が起こっていたのだが特になんの解明もされず)、肩透かしも良いところであったのだが、それでも最後まで読めたのは、ダメな人々の行く末を気になるように持ち込むストーリーテリングの巧みさによるものと思われる。もしかしたら他作品ではもっとマシなキャラが出ているかもしれず、他にもいくつか訳されてはいるようなので、機会があったら読んでみる予定。

扉のない部屋 (角川ホラー文庫)

扉のない部屋 (角川ホラー文庫)