遠藤周作『何でもない話』B、眉村卓『遙かに照らせ』B
【最近読んだ本】
内容はタイトル通り――つまり、取るに足らない事件や事件未満の出来事をきっかけに、自らの人生をふと振り返ったり、見方を変えることになったような人々の物語集ということになるのだろうが、しかし本当にそうだろうか。
たとえば表題作の「何でもない話」は、主人公がやり手のテレビディレクターで、浮気相手のためにこっそりアパートを借りて世話してやっている。そんな彼がふとしたことで、その近所にかつて母親を殺しながら不起訴になった恐ろしい男が住んでいることを知る。元凶悪犯が、いまはその様子もなく平穏な暮らしを営んでいるのを見て、警察に捕まるような罪は犯していないものの、浮気して堕胎手術に付き添ってきたばかりの自分の人生に思いを馳せ、物語は何も起こらずに終わるのだが……
しかし読み終わってから改めて見直すと、主人公のやっていることは「何でもない」ものではなくて、当時の価値観でも酷い、いずれ破滅を予感させるはずのものである。それが「何でもない話」という印象で終わるというのは、遠藤のストーリーテリングによるものだろう。物語にできるのはある程度特殊な状況であり、それをいかに「普通」に見せられるかが重要となる。他の作品にしても、社会を揺るがすようなものではなくともそれなりに本人の人生には大きな事件を一見「何でもない話」として描いていて、読み返してみて巧さに唸らされる。
眉村卓『遙かに照らせ』(徳間文庫、1984年、単行本1981年)B
ファンタジー的な世界観の中で、自分たちの生きる世界にふとした疑問を持ったものたちの物語集――ただ、疑問が芽生えたところで終わってしまうので、その後どうなるかは読者の想像にゆだねられる。それが抑制が効いていると思うこともあるし、不足を感じる時もある。
ただ、この作品集は多くが全くの架空の世界の話で、どうも世界観を読み取るのが面倒であった。
狩に出たトライチの集団は、うまい具合にヤカの大群を発見した。
ヤカは、ふたつの群に分れて、草を食べている。
だから、先任リーダーのカサラ30は、みんなを並ばせて二列にし、いった。
といった調子で、明示的ではなく、さりげなくあちこちで背景を説明しながら進んでいくのだが……架空の用語や単位ばかりの中から必要な情報を抜き出して世界観を構築していくという作業は、やはり精神的に余裕がないとつらいところがある。
しかし今読むと、読者の読む力を養い、日常に疑問を持てというメッセージを与える、教育的な作品である。自由な発想で書いているように見えて、かなり目的意識を持って構築していることがうかがわれる。