DEEP FOREST/幻影の構成

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『由来 第一巻』を読む〜霊能者としての島田晴一

 島田晴一『由来 第一巻』(宗教法人天心聖教、1974年)を読んで、なかなか面白かったので、紹介してみようと思う。なお、この本は筆者が偶然古書店で購入したものであり、筆者自身はこの宗教および関係団体とは無関係である。また本稿も、特定の宗教を称揚するものではない。念の為。

 本書は、天真聖教なる新興宗教の成立を、初代教祖が語ったものである。
 時は1892年(明治25年)。埼玉県大越村(現加須市)に住む、島田平吉という10歳の少年が、奇妙な老人に会ったところから物語は始まる。老人は平吉少年をどこかに連れて行って何かを教えたらしく、いったい何を聞かされたものか、その日以来少年は、数々の奇行を見せるようになる。「勉強は神様が教えてくれるからいい」と言って学校に行かなくなり、神隠しのようにふいと姿を消したかと思うとふらりと帰って来る。どこに行ったか訊くと、遠い静岡や栃木、果ては支那の山に登っていたとか、海に行ったとか言い、それと一緒に不思議なお土産を持ってくる。子どもたちに高そうなお菓子を配ったり、真冬にキュウリを持って来たりして、人々を不思議がらせる。――本書には、平吉が持ってきたという「チェコスロバキア製のグラス」の写真が載っている(なぜそう断定できるのかはよくわからない)。これ以外にも、偉い先生に訊かないとわからないような、難しい漢文を書いて見せるなどといった「お筆先」のようなこともしてみせ、やがて近所の老人の眼病を治して見せるに至って、近隣にまで評判になっていく。
 ――ではこの少年が長じて教祖になったのかというと、そういうわけではない。平吉は13歳のある日突然、もうすぐ我が家に子どもが生まれると予言する。果たして1年後に子どもが生まれ、神は平吉を介して子どもの名を告げ、いずれまた現れることを約して昇天していった。そうして平吉はそれきり、ふつうの少年に戻ってしまった。
 この時に生まれた子どもこそが後の天心聖教教祖・島田晴一である。彼のもとに神が「再臨」するまでは、なお40年近くを待たねばならない。
 この、教団成立までの過程が妙に回りくどくて、話におかしなリアリティを与えている。『由来』は、教祖自身が遺した原稿に、娘婿の進藤晃が注釈をつけ、信者の体験談を加えて編集したものである(おそらく実質的な著者は彼と言っても良いだろう)。だから、進藤晃の意向が編集方針に影響しているのだが、晴一の誕生を告げた平吉をイエス・キリストにおける東方の三博士となぞらえるなど、「普通の宗教史」に回収しようとする彼の意図を離れ、そこから大きく逸脱する島田晴一の不可解な相貌が、読んでいるうちに見え隠れしてくる。
 たとえば進藤の記述では、島田晴一は神の再臨までは、あくまでも一般人としての人生を送ったように書かれている。上京後はまず穀物商の小僧として働き、真面目な働きぶりが評判となり、その後軍隊に入るが空気になじめず除隊、帰った後は実業家として雑穀商・繊維業者として、深川を拠点に活躍することになる。事業は最初のうちは順調で、「第二の渋沢栄一」と称された岩崎清七などと協力して大儲けするが、関東大震災で家財のすべてを喪ってしまう。それ以来何をしてもうまくいかず、自殺を考えるまでに思い詰めていた彼のもとに、ある日神が再び姿を現す――
 というのだが、島田晴一の記述を見ると、再臨の以前にも神に相談して事業の方針を決めたりしていて、すでに教団史と矛盾をきたしている。神の再臨の模様というのも奇妙で、ある日仲間内で話をしていたら、友人で同業者の佐藤安孝なる人物に突然神が乗り移り、「私はお前の守護神である」と名乗り、予言を始めたのだという。ではその友人というのがイタコやシャーマンのような人物だったのかというとそういうわけでもなく、神はその都度色々な人に乗り移って、島田晴一に助言を与える。
 島田ではなく、周囲の人間が神憑りになって、島田の守護神としてアドバイスを与えるというのが、また回りくどくて、宗教史的にもあまり見ない形式である。また、信者の体験談を読んでいくと、

 お宮の上の板のところを釘で、柱に打ち付け、また釘をまげて上からお宮をおさえたのです。
『よし! もうこれで落ちないぞ。神様もこれでは、あばれられないぞ』
 と、ご無礼なことをいたしました。(略)
 寝床に入りましたが、左手上に祀ってあるお宮を見上げながら、あのお宮が私の上を飛び越して落ちるなんて、どうしても考えられないような不思議なことが起こったけれど、今度はお宮を釘で柱に打ち付けたのであるから、再びそのようなことが起こるはずがないと思いながら、じっと見つめていますと、どうしたことでしょう、風もないのに、両方のお榊が、カサカサ音を立てて揺れているのです。(略)
 吸いこまれるように、見つめていますと、どうでしょう、見ている前で、その釘づけのお宮が、スーッと、柱から離れて飛んできて、寝床の上を越えて、前と同じ場所へ落ちたのです。

 私や田辺さんや一條さんの外、十人ほどが御神前にいた時、その中野重松さんという人が、奇蹟について、『そんな事があるかしら』と一言、言って疑ったら、何百貫もあるような石が、家の中へ、ドカーンと落ちてきたような音がして、お膳の上の御馳走が五寸(約十五センチ)くらいも、全部ハネ上がったのよ。それでも不思議なことには、盃のお酒、ひとつこぼれなかったので、皆青くなってしまったのよ。

 など、いわゆるポルターガイスト現象に似た証言が数多くみられ、どちらかというと、宗教書というよりはコリン・ウィルソン等が報告した心霊現象の記録を読んでいる感じである。ここで現れてくるのは、特別な宗教思想やカリスマによって人心を集める教祖ではなく、不思議な現象を起こす霊能者としての姿である。
 もちろんこれらの作り話と片付ける向きもあるだろうが、少なくとも神の庇護のもとで島田晴一が実業家として、戦時中の混乱を生き延びたのは事実のようである。神は市場の変動を的確に予言し、また空襲を避けての移住を、もっとも損害の少ない時期を選んで行わせている。(空襲はともかく、相場の変動については、もし予言によるものでなければ、相当に違法な裏取引があったことになるが……)
 しかし、この神様、何者かがはっきりしない。一応「天心大霊神」というらしいのだが、日本のものともキリスト教のものともつかない。ただ、彼の神は実業家の神だけのことはあって、実利的である。最近三波春夫「お客様は神様です」の意味を解説した文章で、

「ある時こんな質問を受けたことがあります。
「三波さん、お客様はお金をくださるから神様なんですか」と。私はその時その人に聞きました。
「じゃああなたは神様からお金や何かをもらったことがありますか。お賽銭を上げてお参りするだけでしょう」

 という三波による言葉が紹介されていたが、島田晴一の神はまさしくお金を与えてくれる。島田自身があるキリスト教信者と交わした対話の一部を引いてみる。

キリスト教信者「キリスト教では、神様に金儲けをさせて頂きたいの、病気を治してくださいのなどと、そんなことをお願いする人は、キリスト信者、世界中にいないでしょう。(略)貧乏はイバラの道と言って、喜んで毎日毎日を感謝で過ごし、そして信仰によって魂を磨き、この世を去りましても、魂が神様に救われるために、私は信仰を続けてまいりました。」
島田晴一「(略)しかし、それだけですと、最高の精神修養程度ではないでしょうか。心や魂を磨くことは結構ですが、その上に神の救いが現実にあって、福徳も授かり、借金も返すことができ、また難病も神様に治して頂いてこそ、本当の神事の信仰ではないでしょうか。」pp.206-207

 このあたりが島田晴一の神様観のユニークなところで、神様は信仰していれば必ず成功させてくれるものであり、それがわかっているからこそ自分たちは神に感謝し、利益ではなく、ただただ人のためを思って商売をするのだ、というのである。宗教的感情が見事に経営哲学と一致しているのが、この宗教の真骨頂であろう。
 島田晴一は実業界を引退した後は教団経営に専念、青年部を作ったり大聖堂を造ったりと発展し、1985年89歳で死去。教団は現在まで存続しているようである。その後も教団は病院経営など活動を広げているようだが、それに関しては2巻以降の話となるようである。この本を原作とした映画も創られたようだが、これについては残念ながら確認できなかった。

 島田晴一とは何者だったのか?
 たとえば彼の兄の平吉少年は、平田篤胤が見出した仙吉少年を彷彿とさせるし、彼が島田晴一の誕生を告げたエピソードもイエス誕生をなぞっているように思わせる。しかし進藤晃のように、既存の宗教物語の文脈で彼を理解しようとすると、そこから逸脱する点も見出されるのである。
 彼のもっとも特異な点は、彼が奇蹟を起こしたのではなく、彼の周囲で奇蹟が起こることによって、その中心にいる彼が教祖とされた、ということである。誕生は前述のように兄により告げられ、神の再臨は友人が神憑りになったことによって成される。その後もたびたび周りの人が神憑りになって教祖の守護神を名乗り、重要な局面でアドバイスをする。人の病気を治すなどの霊能者特有のエピソードも見られるが、これも直接手かざしをするわけではなく、誰かが神憑りになったり、島田晴一が神に訊ねたりして、あれを食べろとか、あの医者にかかれとか、アドバイスを与えるだけである。日本の霊能者ではなく海外の超能力者の文脈からたどってみるのも有効そうだが、周囲の人間の中から一人だけをトランス状態に陥らせて「私はお前の守護神だ」と言わせる――というのは、やはりあまり聞かないケースである。とかく不可解な現象が次々に起こり、その中心に彼がいる。
 先ごろヒットした荒川弘鋼の錬金術師』冒頭には、たびたび「奇蹟」を起こすことでカリスマを維持する教主というのが出てくるが、そういった、教主が能動的に奇蹟を起こすあり方とは一線を画したあり方で、島田晴一は教祖となっている。まるで周囲が島田晴一を教祖として成り立たせるために存在しているかのようにさえ見えてくる。実際、兄の平吉や彼ら兄弟の両親は、神の再臨を見届けた直後に次々に亡くなっている――島田晴一を教祖として成り立たせるだけのための駒のように。
 もちろん、島田晴一について、文献の記述の真偽だけでなく、検討すべきことはたくさんある。神が平吉を通じてもたらした言葉というのは出口なおの神憑りや「お筆先」を思わせ、また山籠もりのエピソードも大本教と共通するもので、既存の宗教をそれなりに研究した形跡も見られないわけではない。しかしその出発点は、安丸良夫らが新興宗教に分析したような、出口なおに代表されるすさまじい抑圧や時代の変転からの解放としての神憑り、出口王仁三郎の雑多な国学神道の教養に基づく教義の形成などといった要素とはまったく無縁のところにあり、同時代の新興宗教と比較してなお異質さを孕んでいる。
 島田晴一が日本の霊能史、あるいは宗教史の中でどのような位置づけとなるのはわからない。そもそも霊能史も宗教史もいまだ完成を見ていない状態にある。それが人間の持つ不思議な力やその発展をめぐる記録となるか、あるいは人間の想像力の在り方をめぐる物語となるか、あるいは時代の無意識を暴く作業となるか――それはわからないけれど、今に至るまで無視されている島田晴一は、来るべきそれを解体するポテンシャルを持ちうる存在として、現れてくるのではないだろうか。