DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

『徳川夢声の問答有用1』A、ウルズラ・ポツナンスキ『古城ゲーム』B

【最近読んだ本】

徳川夢声の問答有用1』(朝日文庫1984年)A

 話術の名手として知られた徳川夢声(1894~1971)は、1951年~1958年にかけて週刊朝日で「問答有用」という有名人との対談記事を連載しており、それは単行本全12巻として刊行されたが、その中の42編を選び、全3巻として朝日文庫で刊行した、その第1巻が本書である。

 尾張徳川家当主の徳川義親を第1回として、その後は薬師寺管長の橋本凝胤、吉田茂清水崑が同席)、正力松太郎湯川秀樹志賀直哉吉川英治柳田國男、北村サヨ(「踊る神様」として有名な宗教家)、山下清(付き添いに式場隆三郎)、織田昭子(織田作之助の晩年の妻)、今東光田中角栄長島茂雄と豪華な顔ぶれである。

 どうやら録音はしていなかったらしいのがもったいない――というのは、我々が読めるのはかなり編集されたものらしいからで、対談はいずれもよどみなく進んでいくから、徳川義親がシンガポール陥落のときに逃げ出したイギリス人の家に侵入して貴重な本や美術品を「保護」したとか、北村サヨが藪から棒に大宅壮一を罵倒しはじめたとか、ややきわどい話まで、いったいどうやって夢声がお話を引き出しているのかはよくわからないのである。

 『話術』なんて本を見ると、座談では「自分の話ばかりしない」などと一般論的なことが書いてあるが、こちらを読むと相槌だけでなく2,3行しゃべることも結構あるし、吉川英治には『宮本武蔵』の朗読劇の裏話を逆にインタビューされているのはまだ良い方で、正力松太郎にはテレビを民営にするか公営にするかで議論をふっかけたり、橋本凝胤との対話では、天動説を主張する凝胤と反対する夢声とで喧嘩になりかかったなどという裏話がある。読むうちに夢声自身の、庶民的な感覚をもちつつ風流も解する多面的な人柄も浮かびあがってくる構成で、なるほど座談の名手というのもうなずける。

 吉田茂とは政治家の似顔絵について不満を言い、今東光とは寺の収入について突っ込み、田中角栄とは演説の名手としてどもりの治し方について議論し、柳田國男とはアナウンサーらしく方言について語り、志賀直哉とは小説の話より犬や鳥の話ばかりし、湯川秀樹には自身の宇宙論を語りと、有名人だからということもあるだろうが、本業の話題を離れてかなり自由である。織田昭子の語る織田作之助の臨終では、いま書いている小説の話ばかりしているので遺言をとれなかったなどという話もあって泣かせる。

 解説は三國一朗。この連載が、夢声が座談の名手としての名声を確立する前の、おおきな挑戦であったという背景が語られ、名解説といえる。

 

ウルズラ・ポツナンスキ『古城ゲーム』(酒寄進一訳、創元推理文庫、2016年、原著2011年)B

 知らなかったが、ドイツ圏ではLARP(ライブ・アクション・ロールプレイングゲーム)なるゲームが流行っているという。参加者たちは現実世界をファンタジー世界や終末後の世界に見立てて、その設定のもとに何日間か仲間たちと生活するのである。古城や深い森が残るドイツならではというべきか、日本ではサバイバルゲームはあるけれど、特殊な設定下で何日もというのはちょっと難しそうだ。

 本書はそれを題材にした500ページ近いミステリである。森の中を14世紀風ファンタジー世界に見立てて10名以上で生活するゲームに、医学生のバスチアンは誘われて参加するが、参加者の失踪や大けがなどのアクシデントに見舞われる。外部との連絡も絶たれて孤立する中で、ファンタジーと現実の境界があいまいになり、あくまで設定と思っていた、その地に伝わる呪いの伝説が彼らを恐怖に陥れる。

 個人的にはあまり楽しめなかった。そもそもこのLARPなるゲームがあまり魅力的に思えなかったのがいけなかったと思う。500ページ近くの前半はほとんどゲームの説明なのだから、ほとんど読み飛ばしてしまった。それに主人公のバスチアンがいまいち煮え切らなくて、なかなか初対面の人たちになじめないのも良くない。終盤で怒涛のごとく明かされるゲームの背景も、少々無理を感じた。

 ただ事件のあと、それぞれのキャラの「その後」は良かった。必ずしも善人が報われ悪人が罰せられるといったものではなく、さんざん迷惑を掛けたキャラがずうずうしく主人公の前に現れたり、さんざん苦労した人が不幸になっていたり、何もなかったことにして日常を送っていたりと、必ずしもすっきりと割り切れない。これは何なのだろう?と思ったが、解説で作者がヤングアダルト系の人気作家と知って、腑に落ちたと思う。これはミステリではなく、ヤングアダルト小説なのだ。テーマは謎解きではなく、青春の苦さだったということなのだろう。