DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

道尾秀介『光』B、梓林太郎『回想・松本清張 私だけが知る巨人の素顔』A

【最近読んだ本】

道尾秀介『光』(光文社文庫、2015年、単行本2012年)B

 小学生男子のひと夏の冒険を描いた、道尾版『スタンド・バイ・ミー』である――ということに気づいたのは、エピローグでそれぞれのその後が語られてからだが。

 面白いのだが、どうしても道尾秀介には『向日葵の咲かない夏』レベルの衝撃を求めてしまうので、やや悪意が足りないように思ってしまった。連作短編でお話がリンクして最後の事件にかかわっていくのもうまいけれど、やはり『スタンド・バイ・ミー』と比べてしまうと、森の奥にあるという死体を見つけにいくという、冒険の憧れとアンモラルの同居した設定の優秀さが際立ってしまう。

 面白いはずなのに期待が高すぎるせいで素直に楽しめないというのも困った話である。

 

梓林太郎『回想・松本清張 私だけが知る巨人の素顔』(祥伝社文庫、2009年、単行本2003年)A

 作家の梓林太郎(1933- )は1980年に47歳で作家になる前、企業コンサルタントとして働いていた時期に、松本清張(1909-1992)の個人的な相談相手として、創作のネタをいろいろと提供していた。1960年頃からデビュー前までの20年ほどの著者と清張の交流の記録が本書である。

 たとえば清張から、テレビの視聴率はどう調べるのか訊かれて、データを回収しているアルバイトの存在を答えると、さらにどういった人がそれをするのか知りたいと言われる。著者は調査員を雇ってアルバイトの女性を尾行させ、どんな人がどんな背景でその仕事をしているのか、歳格好や服装、立ち寄ったところや自宅の家庭情況などことこまかに報告する(今では問題になりそうであるが)。それをもとに書かれたのが、テレビの視聴率を題材にした『渦』という600ページの長編である、という具合。

 清張の小説は、さまざまな職業を題材にしながら、いずれも細部まで当事者のような視点で書かれていて、その裏ではこうしたブレーンのような人が何人もいたのだろう。なにか事件の話をしても、事件そのものでなく、関わった人の人柄や家庭事情まで詳細に知りたがるのはさすが巨匠というところである。

 それとともに、清張に語ったはなしとして梓林太郎自身の経歴も語られるのだが、これも面白い。電飾看板や木毛マットのセールスをするがいずれも生産中止に追い込まれ、貿易会社や空撮フィルムの会社などを渡り歩くもうまくいかず、いつか洋装店を持たせてやると約束していた妻は早くに死に、貧しいなかで子どもたちは隣人が犬に放っていたせんべいを奪って食べていたという苦労を経て、企業コンサル会社で働いているうちに清張に出会った話。また、セールス時代に出会った、強引なやり方で迷惑を被った営業マンが、後に再会すると不治の病で入院していて、彼の死に目にかつての妻を連れてきて、また不倫相手にも連絡をとって死後のお別れをさせたお話。昭和史の埋もれるはずだった一挿話が、こうして貴重な記録として残っている。

 清張伝である以上に、梓林太郎という未知の作家の自伝としても面白い一冊。