DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

町田康『ギケイキ 1・2』B+、ロバート・J・ソウヤー『ゴールデン・フリース』B+

【最近読んだ本】

町田康『ギケイキ 1・2』(河出書房新社、2016年~ )B+

 1巻の帯に「平家、マジでいってこます」などと書いてあるので、『義経記』にタイトルを借りた義経伝に過ぎないのではないかと思いつつ読んだら、ちゃんと『義経記』であった。河出文庫の『現代語訳 義経記』(高木卓訳)は、高橋克彦が解説を書いていて、町田康も当然これをおおいに参考にしたものと思われるわけだが、高橋によると、『義経記』は義経の伝記ではなく、「すでに英雄として定着していた義経を主人公に据えたスケールの大きい、波乱万丈な逃亡劇なのである」。「英雄の逃亡劇に主眼を置いた物語」であるがゆえに、義経の華々しい時代はほとんど描かれない。源平合戦も、平泉での終焉もさらっと済ませてしまう。

 本書もそれを守って、華々しい源平合戦の話は2巻のはじめに10ページかそこらで終わり、その後は流転の日々が延々と描かれる。たしかどこかで全4巻の構想という話を読んだから、全体のほぼ4分の3が義経の逃避行にあてられることになる。1巻は幼少期から頼朝のもとに参上するまでが描かれ、2巻はほぼ土佐坊昌俊による義経邸襲撃と熾烈な撃退戦が大半を占め、そのあと都落ちして西へ行き、静御前義経一行から離脱して捕らえられたところまでで終わっている。

 たいていの物語だと、都落ちしてまっすぐ藤原秀衡のもとに向かったみたいに描かれるが、本当は九州に本拠地を築いて、鎌倉の頼朝を秀衡と義経が東西から挟みこんで睨みをきかすという支配体制を構想していた(かもしれない)ことが詳しく語られる。結局それは、嵐で船が難破したために果たせないのだが。それまでは、後白河法皇から頼朝追討の命令も受けていたし、都ではそれなりに人気もあったし、藤原秀衡も味方についていたしで、頼朝とは五分五分だったはずなのだが、嵐による壊滅的な被害を機に、勢力差は圧倒的に不利になる。

 考えてみれば海から日本史を見ると、人間よりも天候が大きな運として作用してくることが実に多い。特に調べずに思い出せるだけでも、榎本武揚の艦隊は五稜郭に着く前に嵐で相当のダメージを受けているし、坂本龍馬の仲間だった近藤長次郎龍馬伝大泉洋が演じた)は密航を嵐に阻まれて切腹し、萩の乱前原一誠は船で東京を目指したがやはり嵐に阻まれて果たせなかったなど、明治の世に至るまで天候は大きく歴史を動かしている。逆に元寇では嵐が日本を救う形になったが、元軍からしてみればとんだ災難だっただろう。『鎌倉殿の13人』では、鎌倉を海から奇襲する作戦を義経が嬉々として述べ、それを梶原景時が讃嘆していたが、いくら鎌倉が油断していても、嵐が来たら戦うどころか頼朝の手を労せずに義経もろとも船団は全滅していたわけで、言うほど確実な作戦ではない。そのモデルになったであろう、小栗上野介江戸湾からの艦隊による政府軍攻撃案も、当時の明治政府首脳はもし実行されていたらと肝を冷やしたというが、これも実際は天候ひとつでどうなっていたかわからない。

 義経は九州王国の樹立という、南北朝時代懐良親王の先取りのような夢を持ちながらも、嵐に阻まれて果たせなかった。後の歴史を知りながらも、義経が西に向かうあいだは、もしかしたらこのままうまく行ってしまうのではないか、とちょっとでも思わせる手腕はすごいものだ。恐らく3巻と4巻をかけてじっくりと平泉への道行を描くのだろうが、この密度で進むならば、本当に4巻で終わるのか怪しいものだ。できれば、秀衡に比べていまいち精彩を欠く泰衡は詳しく描いてほしいが、義経記である以上望めないだろうか。

 独特な文体になれるまでに時間がかかるが、慣れると楽しい。もともとのファンであればすっと入っていけたのかもしれない。

 

ロバート・J・ソウヤー『ゴールデン・フリース』(ハヤカワ文庫、1992年、原著1990年)B+

 SFと見せかけてミステリ、と見せかけてやはりSF、という話だった。

 舞台は47光年先にある入植可能な惑星を目指して旅する宇宙船アルゴ。1万人が暮らしているその宇宙船は、高性能の人工知能「イアソン」により安定が保たれている。だがそのコンピュータは実は自律した思考をもち、人類に気づかれぬまま、宇宙船を制御下においていた。人類は、イアソンがひそかに進めている計画にも気づかずに平和な日々を送っている。

 しかしある日、乗組員のひとりが、その「陰謀」に気づく。イアソンは真相を知ったら人類に巻き起こるであろう混乱を防ぐために、その乗組員を自殺に偽装して殺してしまうが、他の乗組員が事件に不審を持ったことをきっかけとして、人類社会を揺るがす恐るべき真実が明らかになっていく。

 万能コンピュータたるイアソンが犯人で語り手の倒叙ミステリ、というなかなかないアイデアである。この、ほぼ万能のコンピュータの視点からの描写というのがとても面白い。コンピュータは、宇宙船中に張り巡らされたカメラとセンサーで乗組員の行動や身体の状態を把握し、ほとんど三人称の「神の目」に近いものを持っている。しかし、あくまで人間の外から見た様子しかわからないから、内心で何を考えているのかはわからない。だからこのイアソンは、乗組員のデータをコンピュータの内部に再構成して、彼が何を考えているのか、これからどういう判断をするのかをトレースしていく。このあたり、人間の目を盗んで進行していくのがとてもスリリングである。イアソンはまた、感情も持っている風に描かれ、全体にユーモアが漂っている。

 この万能コンピュータの目をかいくぐって主人公が真相に気づきはじめ、機械と人類の高度な知能戦が繰り広げられる――に違いないと思ったのだが、真相は最後のほうで、ちょっとした手掛かりから一気に明かされてしまう。明かされる真相自体はSFらしいスケールの大きなもので、今まで前提となっていた世界観が全部ひっくりかえるくらいのものなのだが、少々肩透かしではある。だから、SFとして始まり、緊迫感のあるミステリが続き、最後はスケールの大きなSFに戻る、ということになる。予想と期待を裏切られる点に好き嫌いはあるが、退屈はしない。

 読んでいてちょっともどかしいのが、コンピュータが直接人間を殺す手段をもたないことで、どうやっても死ぬしかない状況に追いこむという形を取ることしかできないらしい。まあ、そうでもなければ、とてもではないが人類に勝ち目はなかっただろうが、なぜここまで高性能なコンピュータが人を直接殺す手段を持っていないかについては説明が欲しかった。人類に隠して武器を配備するくらいのことはできそうではないか。それに、ひとりに集中していたせいで他の監視がおろそかになってヘマをする、というパターンも見られて、コンピュータにしてはお粗末なところも多い。

 とはいえユーモアと緊張感が両立しており、書かれた年代を考えれば意外に古びていない、佳品である。