DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

石持浅海『二歩前を歩く』B、定金伸治『ジハード1』B

石持浅海『二歩前を歩く』(光文社、2014年)B

 石持浅海らしい、安定したクオリティで読ませる短編集。

 超常現象を扱ったミステリということでその辺の議論をするのかと思いきや、現象自体は認めて、それが起こるのにはどんな論理があるのか、ということを解き明かしていく。

 脱ぎ散らかしたはずのスリッパがいつの間にかそろっている、車のガソリンがいつの間にか満タン手前になっている、道を歩いていると前にいる人が自分を避けているような気がする――など、ささいな、しかし気になりだすと無視できない現象が、実際に何が起こっているのか調べてみるうちに、背後にあったドラマを明かしていくというパターンが貫かれているが、毎回思いがけないところから真相が来るのはさすがである。

 発端のわりに明かされる真相がだいぶグロテスクだったり、後で考えると変なところもあるが(ガソリンの件では一体どこからガソリンが来ているのかとか、「犯人」はなんでそういう知識があったのかとか)、知的なパズルという趣で楽しめる短編集である。

 

定金伸治『ジハード1』(集英社文庫、2003年、単行本1993年)B

 さして期待せずに読んでみたが、面白かった。

 12世紀後半、サラディン獅子心王リチャードが激しい戦いを繰り広げる十字軍の時代に、キリスト教勢力の暴虐に心を痛めたひとりの男が、イスラム側について軍師として活躍する。

 やる気のない様子だがいざというときに知性の輝きを見せるヴァレリー、彼の主君として時に衝突しながらも勇敢に戦場に向かう王妹のエルシード、彼らを慕いキリスト教圏から亡命してきた仲間たち、彼らの希望の星となるサラディンなどなど、魅力的なキャラには事欠かず、やや薄めた銀英伝か、あるいはレベルの高いラノベかというところ、というと失礼かもしれないが、広い範囲の人に読める小説になっていると思う。

野阿梓『五月ゲーム』B、倉知淳『ほうかご探偵隊』B

【最近読んだ本】

野阿梓『五月ゲーム』(ハヤカワ文庫、1992年)B

 銀河帝国打倒を目指す秘密結社・狂茶党(マッド・ティーパーティー)に属する若き美貌のテロリスト、レモン・トロツキーの闘いを描く冒険SF――なのだが、本作では目的地への移動中に別のテロリストのハイジャックに遭遇したり、壊滅した敵対組織の残した秘密を探ろうとしてそれをめぐる争いに巻きこまれたりと、直接銀河帝政と戦うようなものではない。なんとなくトラブルに巻きこまれ体質とみれば、王道のパターンと言えそうである。他もそうなのか、これが例外的なものなのかはわからないが。それでもレモンは持ち前の戦闘能力と冷徹な頭脳を武器に降りかかる災難に立ち向かう。

 収録作ふたつの内、ひとつめの「五月ゲーム」は、レモンが乗っていた宇宙旅客機がハイジャックされるが、犯人たちが降り立った星は折悪しくクーデターの真っ最中で要求を聞くどころではなく……というドタバタもので楽しめたが、もうひとつの「妖精の夏」は、野阿梓らしく神話的な世界と現実世界の混ざり合った幻想小説の趣で、あまりに雰囲気が違うので読むのに苦労した。カフカの『城』やシェイクスピアの『ハムレット』モチーフくらいはっきりしていればまだわかるが、注釈つきで読んでみたいものである。

 

倉知淳『ほうかご探偵隊』(創元推理文庫、2017年、単行本2004年)B

 かつて講談社ミステリーランドで出された子ども向けシリーズの一冊。小学5年生の少年少女が、描いた本人が興味を失った絵、作ったものの誰も使っていない募金箱、授業でもう使わないソプラノリコーダーのような「いらない物」が次々になくなるという奇妙な事件に、子どもらしい興味本位で探偵団を結成して挑む。

 ジュブナイルミステリらしく、子どもの発想の範囲内で推理を進めつつ、そこは倉知淳なので、あらゆる可能性を検討しては排除しながら「解決」にたどりつき、そこからは怒濤のどんで返しの連続。なくなった「どうでもよいもの」の中に「クラスのほとんどが気に留めていなかったニワトリ」がいることで、読者になにか不穏なものを感じさせて引っ張っていくのもうまい。読み終えてみるとちょっとできすぎな気もしないではないが、安心して読み終えることができた。

吉川英治『源頼朝』B、桜田晋也『尼将軍 北条政子1 頼朝篇』B

【最近読んだ本】

吉川英治源頼朝』(全2巻、吉川英治歴史時代文庫、1990年、単行本1940~1941年)B

 吉川英治が『新・平家物語』(1950~1957)に先だって書かれた、源頼朝を主人公とする作品。新平家に対しての影の薄さはどういうことかと思ったら、源義朝の敗走から始まって挙兵するまでに1巻を費やし、その後は駆け足になり、壇ノ浦の後、頼朝と義経が決裂したところで終わっている。とはいえ、主人公らしくさわやかな好男子として描かれる頼朝はともかく、兄をけなげに慕いながら冷たくされる義経、自己宣伝が下手なあまり世間から孤立していく平清盛――など、吉川英治の人物評がさまざまに垣間見えて面白い。自分が楽しければみんなも楽しかろうと急に思い立って一族総出で福原に行こうとするのを、みんな迷惑顔で、それを薄々わかっていながら強いて振り払う清盛などが頼朝そっちのけで人間らしく描かれるのは、吉川英治の清盛への思い入れがかなり強く感じられ、『新・平家』への準備段階として重要な作品だろう。

 昔の作品とはいえ、平清盛が水が沸騰するほどの熱が出たくだりなど非合理的なものは「そういう噂が都にある」と処理するなどの合理性もあり、今でも十分に読める。

 

桜田晋也『尼将軍 北条政子1 頼朝篇』(角川文庫、1993年、単行本1991年)B

 このタイトルだから、北条政子と頼朝の出会いから始まるのかと思っていたのが、1192年から始まる。壇ノ浦から7年、義経の死から3年、そして後白河法皇崩御し、ついに頼朝が征夷大将軍となったところから物語が始まる。

 プロフィールによると著者は評論から出発したらしく、実際そんな感じで、新書で鎌倉幕府の評論を読んでいるような気になる。半分以上は著者の批評なのではないか。その合間に、頼朝と政子を中心に、かなり陰険な政治闘争が描かれる。平清盛ですら頼朝を助命するような寛大さがあったのに頼朝をはじめ鎌倉幕府の政治闘争にはそういうことがない、などと非難しているあたり、49年生まれの著者としては学生運動などへの批判も多少意識しているのかもしれない。

 なんとか流刑の赦免を求めて北条家に取り入ろうとした頼朝は、しかし妹を押しのけて恋人に名乗り出た政子によって、逆に乗っ取られていく。この政子が、100ページくらい読まないと出てこず、しかも疑い深く、嫉妬深く、独占欲も強いという厄介なキャラとして描かれ、出て来るとヒステリックに喋りまくって閉口する。彼女はついには時政と結託して曽我兄弟をそそのかすなどして頼朝を死に追いやり、落馬しての死の直前に頼朝はそれを悟るが、それを頼家に伝えることもできないまま死ぬ。曽我兄弟を初め、大姫と木曾義高など、巻きこまれて不幸のうちに死んでいくものたちこそ哀れである。

 本作は全4巻で、北条政子の一生と、鎌倉将軍家の盛衰を描く大作である。1巻は頼朝篇、2巻頼家篇、3巻実朝篇、4巻承久大乱篇とつづき、『鎌倉殿の13人』の影響もあってか、復刊はしないものの、アマゾンで多少高値がついているようである。なんとか読んではみたいものの、北条政子がこの性格で最後まで押し通すのではだいぶつらそうだ。

中島義道『非社交的社交性』B、貴志祐介『青の炎』B+

【最近読んだ本】

中島義道『非社交的社交性』(講談社現代新書、2013年)B

 まとまりのない本であると思ったら、主に全50回の新聞連載をまとめたものであるそうだ。内容は主に、著者が今まで出会ってきた非社交的な人の記録であり、また私塾の宣伝でもあり、自伝的な部分もある。

 これを読んだ人間は一体どう考えるのか。こんな変な人たちがいるのかと笑うのか、これは自分だと震えあがるのか。自分はどうしても、極端な例のなかにも自分に似通ったものを見つけてしまい、読んでいて気が気でなかった。叱ると納得せず延々と抗議のメールを送ってくる人とか、入塾希望メールに本文もなにもなくただ募集要項に求められているものを箇条書きにして送ってくる人とか、まあこのままではないが、しかしこれに近いことはしたような覚えもあり、向こうからはこういう目でみられていたのかもしれないと思うと背筋が冷たくなってしまう。

 一方で、中島義道自身は相対的に常識人として出てきて、若者に寿司を奢ったら中島義道をさしおいて勝手に注文しだしたので「こういうときは私が先に食べるまで待つものだ」と説教するなど、なかなか可笑しいものがある。もちろん彼らには彼らの言い分があるわけで、「彼らから見た中島義道」というものも是非読んでみたいものである。 

 

貴志祐介『青の炎』(角川文庫、1999年、単行本2002年)B+

 湘南の高校に通う17歳の少年が、愛する母と姉を守るために、離婚しても家に居座っている義父を完全犯罪で殺すことを計画する。

 異様に密度の濃い序盤から、犯罪の計画と実行、小さなほころびによる瓦解まで綿密に描かれており、トリックも、学生の得られる範囲の知識でうまく説明がつくし、国語の授業がそのまま少年の心情と響きあうなど、家族や友人たちの人間模様も物語と絡まりあいながら変化していき、犯罪も組み込んで青春小説として完結するラストまで、息もつかせず一気に読ませる。読み終えたあとは、あとがきでこのトリックは実際には成立しないという注意書きがあって、それで現実に引き戻される。あとがきも含めて、ひとつの作品となっているといって良い。

(以下ネタバレ)

 ただ読み終えてから考えてみると、やはり色々疑問はあって、末期がんなのにあの生活で少年に気取られずに済むものなのか(母が何も言えなかったのはもうすぐ死ぬのを知っていたからなのか?)とか、警察もああなると薄々わかっていただろうに彼を帰らせるものなのか(巻きこまれるトラックの運転手の立場はどうなるのか)とか、やはり彼の犯罪は時間が解決する「徒労」だったのではないか、など考えてしまう。

 解説の佐野洋は、倒叙ミステリの歴史に残る一作として高く評価しており、こういうジャンルには珍しく善人である主人公を置いて、なおかつ最後には犯罪が露見する不幸を読者が納得しなければならないという困難を両立させたと賞賛している。しかし少年は、最後まで純粋とはいえず、二つ目の殺人を決意するあたりは明らかに常軌を逸した精神状態になっていたように思う。この「異常性」を作者は誰にでもありえることと考えているのか、彼自身が固有に秘めたものと見ているのか、『黒い家』の作者だけに気になるところである。

清水義範『グローイング・ダウン』A、あさのあつこ『晩夏のプレイボール』B+

【最近読んだ本】

清水義範『グローイング・ダウン』(講談社文庫、1989年、単行本1986年)A

 清水義範の、比較的初期の短編集。同人活動を経て単行本デビューが1977年で、本書に収録の短編は1982年~1986年あたりに書かれている。1986年に『蕎麦ときしめん』、1987年に『国語入試問題必勝法』、1988年に『永遠のジャック&ベティ』が刊行されているところを見ると、清水の本領であるパスティーシュ小説に本格的に取り組むようになる直前にあたる。

 で、これがすごく面白かった。たとえば表題作は、一日自体は普通に進むのだが、一日が経つと前の日になっているという、時間退行がおこった世界の話である。話は小難しい理屈は抜きで、その世界の人々の心情を中心に描いているのがとても良い。今だったら変にルールが厳格だったり理由付けが緻密だったりして、それは面白いのだが息苦しさも感じていたのを、これを読んでいて思い知らされた。

 特に、冥王星探検隊の一員として参加し、他のメンバーが全員死亡した状況で何年も救助を待つことになった男の話「ひとりで宇宙に」など、途中から息苦しくて仕方なく、SFホラーの歴史的名作といえるだろう。この方面で活躍していたら、本格SF界にゆるぎない傑作が生まれたのではないかとさえ思う。

 とはいえ学術書の体裁で日本国憲法を奇妙な価値観で読み解く短編があったり、ぼけた老人の内面から世界を描く短編があったり、清水義範おなじみの作風は既に見えている。清水義範の作家人生を見渡す上では欠かせない一冊であろう。

 

あさのあつこ『晩夏のプレイボール』(角川文庫、2010年、単行本2007年)B+

 なかなか読むのがツラい短編集である。いずれも野球――というより甲子園――を中心テーマとして、甲子園に出た者、出られなかった者、さまざまな年齢や立場の人間模様が描かれる。ひとつひとつの物語が、他の人には代わりようのない、それぞれの人生の重みをもっていて、痛みにちかい余韻を残す。それを何作も読まされるのだから、一気読みするには結構ツラかったのである。しかし途中でやめさせない力がある。

 短編集だから、勝負の行方がわからないまま終わったり、事件の背景になる事情がわからないものがあったりして、長編の萌芽のようなものが見えるようなものが多い。実際、本書の短編から長編になった作品もあるようである。

 印象にのこったのは、だれよりも野球が好きで得意だったのに、女の子だからという理由で中学からは野球を諦めなければならないことを知った女の子の物語「驟雨の後に」、甲子園にあこがれた息子を幼くして喪った夫婦の物語「空が見える」あたり。とりかえしのつかないことへの喪失感を描くのがうまい。

若竹七海『依頼人は死んだ』B、長谷川卓『もののふ戦記 小者・半助の戦い』A

【最近読んだ本】

若竹七海依頼人は死んだ』(文春文庫、2003年、単行本2000年)B

 若竹七海は20年くらい前に『火天風神』を読んだことがあって、若者ゆえの痛々しさが嵐に遭難して次々にあらわになっていく、その残酷さにショックを受けて、ずっと敬遠していたのだが、今回なんとなく手に取ってみた。

 作者の代表作「葉村晶シリーズ」の短編集だが、これは比較的楽しんで読めた。人間の悪意といっても、自分が苦手なのは平凡な人間が平凡さゆえに悲劇を招くような話であり、ここで描かれるのは、なにかしら異常を抱えて生きてきた人間がふとしたことでそれを表に出してしまう、そういうイヤさである。本物の悪魔らしきものが出て来るのも、人間のひとつの側面というより、純粋な悪意というものを描きたいという表れではなかろうか。

 それでも十分イヤな話ではあるのだが、それを救っているのが、淡々とした語り手である。本人もそうとうな過去を背負っているのだが、語りの上では冷静さを失わない(しかし実際がどうなのか「アヴェ・マリア」で垣間見えたりする)ので、読む側は割と平静に受けとめられるように思われる。

 印象にのこったのはやはり最初の、有名人が何者かに常軌を逸したいやがらせを受け続ける話。ネットの炎上を連想させるところもあって、いろいろな語り口がありそうだ。

 

長谷川卓『もののふ戦記 小者・半助の戦い』(ハルキ文庫、2017年)A

 武田信玄がまだ武田晴信だった天文19年(1550年)、村上義清に大敗を喫した砥石崩れのいくさを題材に、武田方の一兵卒として従軍した男の物語。単に戦国のいくさの敗走を扱うなら、関ヶ原とか桶狭間とかもっとメジャーなものがあったと思うが、なにかゆかりがあったのかもしれない。

 従軍したとはいっても、総大将の武田晴信のもと、有名な武田二十四将のひとりである横田備中という者がいて、その直属の家臣6名のひとりである西島久衛門、さらにそのたくさんの家臣のなかで末席の雨宮佐兵衛(36歳)、そしてその従者の半助(62歳)。中心にくるのが、この半助と佐兵衛である。なにしろ足軽に過ぎないので、馬もなく徒歩でついていくような者たちである。こんな立場から描かれた歴史小説というのは珍しい。

 前半はいくさの準備から実際の行軍、食糧事情や城攻めなどが豆知識的にこまごまと描かれ、後半は村上軍の追撃を受けながら命がけの退却が繰り広げられる。落ち武者狩りや捕虜の虐殺の恐怖にさらされながら、あるときは戦い、あるときは命乞いをし、あるときは助け合い、あるときは裏切りとあらゆる手段をつかい、生き残りを目指す。

 最初は正直、東郷隆の本(参考文献にもあげられている)の引き写しではないか、と侮っていたが、怪我をした主人の佐兵衛を助けながら必死に駆ける半助にはつい応援の気持ちがわきあがる。最後、雲の上の存在である総大将に彼らの存在が認められるのは感動的である。

 長谷川卓(1949~2020)は全然知らなかったが、キャリアの長い作家のようである。シリーズものが多く、本作はWikipediaには入っていない。こんなところに佳品がみつかるのだから、侮れないものである。

田口ランディ『コンセント』B、門田泰明『黒豹伝説』B

【最近読んだ本】

田口ランディ『コンセント』(幻冬舎文庫、2001年、単行本2000年)B

 アパートの一室で腐乱死体となって発見された兄。妹の朝倉ユキは、理由のわからない彼の死に戸惑う。興味を引かれたのは、死体の傍にあった、コンセントをつながれたままの掃除機。彼はそういえば、昔の映画で見た、コンセントにつながっているときだけ生きていると感じられる少年の話をしていた。ユキは兄の死の謎を探るため、かつての指導教授のカウンセラーを訪ねる。

 ある人間の死の謎を探るという、ハードボイルドのような始まり方をするが、彼の知人をたどって人生を明らかにするのではなく、カウンセラーに会って彼の内面と自分とのかかわりを考えるというのが、アプローチとしては異色かもしれない。かつて恋人のような関係だった指導教授、同じゼミにいたエリートの女性、自分に積極的にアプローチをしてくる男性などとのかかわりの中で、しかし満足のいく答えは得られず、ユキは人の死の匂いを感じ取る不思議な能力を手がかりに、精神世界へと踏み込んでいく。

 前半はまだ兄の死を探ろうという気があるのだが、後半からスピリチュアルの色彩が強くなり、終盤はシャーマンとして覚醒し、人の心を読んだり未来を予知したりして、今まで会った人たちを凌駕する存在になるという、スピリチュアル志向の人間の願望を具体化したような話になる。初めて読んだときは気持ち悪くて仕方なかったが、久しぶりに読むと多少冷静に読める。

 驚くべきはこれが2000年にベストセラーになったということである。一般的には1995年にオウム事件が起こり、それまでの精神世界やスピリチュアルのブームは一気に退潮したといわれているが、スピリチュアルど真ん中のこの作品が2000年にヒットしたというのは、オウム以後も、そして1999年のノストラダムス以後もスピリチュアルへの憧れは社会に存在し続けたことを示しているのではないだろうか。

 

門田泰明『黒豹伝説』(ノンポシェット、1990年、単行本1987年)B

 門田泰明を読むのは初めてで、黒豹とタイトルにあるのはこれが最初のようなのでこれが第一巻かと思ったら、第一作は「帝王コブラ」というものらしい。そのためこれも、前作の事件の回想から始まるのだが、まあさほど影響はない。

 主人公は黒木豹介というわかりやすい名前の、殺しのライセンスを与えられた「特命武装検事」で、年齢は37か38歳、素手で瓦20枚を叩き割る圧倒的な戦闘力とたぐいまれなる洞察力で、世界中の秘密機関から怖れられている。秘書の高浜沙霧とともに、武装ヘリ・ヒュイコブラを駆使して危険な地にも敢然と乗り込んでいく、しかし弱者には優しく、特に女性には絶対に銃を向けないために危機に陥ったこともある――

 と、設定を並べて来ただけで食傷気味になるが、読んでいる間は圧倒的な安心感がある。

 本書は冒頭4ページ目で、震度7地震が東北地方を襲うところから始まる。その被害は、北上川雄物川の川幅を拡大させて、本州から分断しそうになるほどであった。地震の被害を調査する黒木は、やがてそれが人工的に起こされた地震であることを知り、背後に隠された陰謀に迫っていく。

(一応、以下ネタバレ)

 東北地方を分断して北海道と一体化したところをソ連が占領、さらに地震によって出現した大金鉱をも支配するという、謎の組織のスケールの大きな陰謀であるが、読んでいて思ったのは震災前の小説ということである。まるで特撮を見ているような気分で、街や大地が破壊されていく。ひょうたん島のごとく敵基地を抱えて移動する人工島など、アイデアは面白いものの、今読むと能天気さは否めない。

 しかし日本が分断寸前まで行くほどの大地震があったわけだが、このあとのシリーズはこれを引っ張って進むのか、それとも何事もなかったようにリセットされるのか。長期シリーズものだけにどうなったのか気になるところ。