事実誤認の効用
中原昌也:たとえば映画の文章だと、僕、すごい事実誤認書きまくっちゃうんです。(中略)
阿部和重:その誤解が生産性を持ったりするんですよ。
なんだか便利そうな言い回しである。
覚えておこう。
実際に自分で言ってしまうとものすごく恥ずかしい気もするが……
ちなみにここで中原の挙げた「事実誤認」は、
「『ミッション・トゥ・マーズ』で、「砂虫が出てくる」と書いたんだけど砂嵐だった」というもの。
観たことはないが確かにそちらの方が面白そうだ。
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こういう事実誤認のほかの例としては、
リリー・フランキーの著書『日本のみなさんさようなら』というタイトルが、
本人いわく『日本沈没』旧映画版の最後でニュースのアナウンサーがそうさけぶ、ということなのだが、
実はそんな台詞はなかったらしい、というものがある。
とはいえ僕自身はその映画を観てないし、
このエピソードも永江朗の『批評の事情』で昔読んだ、というだけなので、
実際本当かどうかわかったものではない。
それにこの話は別に、阿部と中原が「観もしないで適当に語ってよい」と言っているわけではないのだから、
そのあたり、注意しなきゃダメである。
別のところで言ってそうだけど。