DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

安岡章太郎において隠されたもの

【最近読んだ本】

安岡章太郎『サルが木から下りるとき』(角川文庫、1974年、連載は朝日新聞1970年)B

 安岡章太郎というのは、文壇の大御所的な存在であったにもかかわらず、どちらかといえば地味な印象がある。小説やエッセイを読むと、起こったことを順に綴っていくようなものが多く、凝った構成やレトリックで魅せるというタイプではない。ただ描写が時に驚くほど克明になり、その描写の積み重ねが可笑しさや哀しみを醸し出すことがある。それが強く印象に残っている。しかしその地味さゆえか、2013年に92歳で亡くなってからは、ほとんど話題に上ることもなくなっているように思える。

 安岡章太郎文学史に名を残すとすれば、小説よりもむしろ、多数の回想的なエッセイ群によってなのではないかと思っている。『良友・悪友』をはじめ、遠藤周作吉行淳之介近藤啓太郎など、当時の文壇の人々との交友を描いたエッセイは、大作家のユーモラスな一面を伝える貴重な証言としてよく引用されている。また、『なまけものの思想』などの回想エッセイは、太平洋戦争前後の社会風俗を、庶民的な視点から紹介するやはり貴重な証言となっている。たとえば、昭和という年号が発表されたとき、明治や大正より古臭くていやだという意見があったなどという話は、現在からはちょっと想像がつかないことだろう。安岡章太郎はその当時に生きた者のみが知る雰囲気や印象を克明に記録して見せる。その成果が『私の昭和史』全3巻に結実したのだとすれば、これは所を得た仕事であったと言って良い*1

 一方で、安岡章太郎の諸著作を読んでいて物足りないのは、あれだけ友人や社会風俗を克明に描きながら、本人の顔が全く見えてこないということである。思えば、私小説の歴史に残る傑作とされる『海辺の光景』もそうであった。この作品は、母親が入院先の精神病院で息を引き取るまでの10日間を息子(=安岡章太郎)の視点から描くものである。息子は病院の中をうろうろして、他の患者の様子を見ながら、両親が戦後の混乱期を生き抜こうとして精神の平衡を崩していくまでを回想する。父母のことをこれでもかとばかり克明に描かれるのに、しかし自分自身はろくに描かれない。父は元軍の獣医で、戦後は鶏の卵で儲けようとして失敗するなどお金に苦労する。母は父の支えになろうとするが空回ってばかりで、やがて精神に異常をきたしていく。その中で、やがて稼ぎ頭になるはずが病気の療養でかなわない息子はどんな位置を占めているのか。本当なら彼に期待が向くはずなのに、母親は何をやってもうまくいかない父親を責めるばかりで、息子には一向に矛先は向かないのである。まるで三人称小説のように、語り手はそこにいるのにいないかのようになっている。

 そんなことはない、というかもしれない。安岡章太郎といえば、その主人公は劣等生や落ちこぼれという属性をもつキャラクターで規定されるとはよく言われることだ。確かに、阿川弘之遠藤周作北杜夫といった錚々たるエリートのそろっている文壇において、慶応大学に三浪し、その後も落第を繰り返した安岡は、多くの作品を劣等生的な意識から描き、第三の新人の中でも独自の地位を占めたとは言われる。しかし一方で、我々は読んでいてもそれ以上の情報が得られない。落第生というレッテルがわかりやすい隠れ蓑になっているように見えるのだ。実際、安岡の親友の三浦朱門は、彼の作品について、

安岡章太郎は「劣等生」というフィクションによって、自分の実生活を分析し、作品化することに成功した時、作家としてのスタートをすることになった。(『なまけものの思想』(角川文庫)解説)

と述べている。実際、落第は病気療養のためであるし、浪人したというのは三浦朱門に言わせれば当時はそんなに珍しいものでもない。しかし安岡は、落第生であることを強調することによって、インテリによって描かれる文学群の中での独自性を確保した。そして同時に、自己についてはそれ以上語らずに、周囲を克明に観察した記録を小説として形にするという方法を身に着けたのではないか。そう考えると、私小説的な作品はどうにも何か大事なことを隠しているようで落ち着かない。彼の小説の内で残るものがあるとすれば、私小説から離れた「蛾」や「雨」など、奇妙な味の短編群なのではないだろうか。

 

 そして今回読んだ『サルが木から下りるとき』もまた、面白いのだけれど、やはり著者の顔が見えてこない。1970年にアフリカに行った旅行記なのだが、なぜ行ったのかがよくわからないのである。

 冒頭では動物園のゴリラや『キングコング』を観て、進化論に思いを馳せ、人類のルーツであるゴリラを絶滅する前に見に行こうと思い立つのだが、行った先では動物園のサルの買い付けにきたと説明し、しかしナイロビ、モンバサ、ウガンダなどを旅した末に、ゴリラにはめぐりあえずに帰ってしまう。あとがきでは「ゴリラの夫婦喧嘩というものを観察して、精神分裂的になったゴリラの夫を主人公に小説を書」くためと言っているが、その後書かれたのかどうかはわからない。そもそも1970年といえば『沈まぬ太陽』のアフリカ篇の作中年代がそのころであり、気軽に行けた時代ではない。家族もいる身でなぜいったのか、いったい旅行費は誰が出したのか、本当にひとりで行ったのか、実は別に何か目的があったのではないかなど、さっぱりわからない。『別冊新評 安岡章太郎の世界』の自筆年譜では「1970年3月、ケニアウガンダタンザニアを旅行し、5月、帰国。」としか書かれておらず、この本にはアフリカの写真なども載っているものの、大した内容ではない。作中に出てくる名前では、河合雅雄伊谷純一郎など霊長類研を中心とした京大の人々とつながりがあったらしく、その調査に同行したのではないかと想像したりもするが、だったら隠すことでもない。まあ、安岡が自身の小説において自己を隠しているように、このこともまた判明することはないのだろう。

 本自体はそこそこ面白い。現地で働く日本人の妻のパワーに振り回されてあちこち観光したり、現地でセーベエという青年と仲良くなって一緒に旅したりして、飽きさせない。その合間にアフリカ文明に対する文明批評が挟まれるが、それは特に印象には残らない。主に安岡が感銘を受けた伊谷純一郎『ゴリラとピグミーの森』の調査を跡付けるような旅行になっており、安岡が訪れた時点ではピグミーはすでに現代の文化を取り入れて変貌している。矢じりや何かを売りつけようとして来たり、写真を撮ろうとすると金を払うことを要求してくるピグミーに失望している。おそらく伊谷の著書とあわせて読めば、アフリカの変化を教える貴重な証言になるのではないか。一方でタイトルが「サルが木から下りるとき」――すなわち、サルが樹上生活をやめてヒトとしての進化に歩みだした瞬間をタイトルとしているように、どうにもおかしな、新たな進化を目前にしている「変革の予感」のようなものを全編に横溢させているのが、予言の文学のようで、どうにも安岡には似つかわしくないものに感じられた。

*1:とはいえ、安岡章太郎の回想エッセイは、同じ出来事でも本によって状況や発言が違っていることがあるので注意が必要である。たとえば、『良友・悪友』(新潮文庫)では、安岡が遠藤周作と作家になってから再会したのは昭和29年の夏、遠藤周作のエッセイ集『フランスの大学生』の出版記念パーティーにおいてであるが(pp.40~43)、『なまけものの思想』(角川文庫)では、昭和28年の夏、フランス留学から帰国した遠藤の歓迎会においてであり、このときは安岡は芥川賞を受賞したばかりで祝われる側でもある。(pp.63~64)また、安岡の父は軍の獣医で、戦後は鶏を飼い商売をしようとして失敗したとされるが、私小説風の短編「愛玩」ではウサギに変えられている。