DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

「さよならの代わりに」について


「さよならの代わりに」貫井徳郎 幻冬舎


*特に大きなネタバレはなしで*


傑作、だったのかもしれない。


主人公は劇団「うさぎの眼」に所属している青年・和希。
大役はもらえないし生活は貧乏だが、心を許す友人、
お互いを高めあうライバル、片思いの女性、そして尊敬する座長の新條のもと、
公演にむけて稽古を続ける充実した日々を送っていた。


しかし新作上演の最終日、劇団のトップ女優が殺されるという事件が起こる。
疑惑が持たれたのは、最近恋愛のトラブルがあったという座長の新條。
本当に彼が犯人なのか、外部犯か内部犯か、みんなが混乱する中、
次々に彼に不利な証拠があがっていき、ついに殺人容疑で逮捕されてしまう。
それぞれが疑心暗鬼に駆られる中、和希はひとり奇妙な状況にあった。
彼は事件の直前、謎の少女に会っていたのだ。
まるで事件の発生を予測していたかのような行動をとる彼女は、
実は自分は新條の孫で、事件を防ぐために未来から来たのだと明かす。
主人公は彼女の勢いに押し切られて、半信半疑ながらも調査に協力する。
二人は真相にたどり着き、新條の無実を証明することができるのか――


何よりも重要なのは、未来から来た、という少女の存在である。
秘密を打ち明けられても信じない和希に、少女は未来社会のことを話したり、
競馬を大勝してみせたりして証明してみせようとする。
彼はそのたびに一旦は信じかけるが、しかし周りの意見を聞くと自信をなくす。
未来社会などどうとでも言えるし、競馬は八百長かもしれない、というわけだ。
しかしその追及は終盤少し言及されるだけでほとんどされず、
物語は終局へと突き進んでいってしまい、どうも物足りなかった。
また明かされる時間移動のシステムも、物語先行で不自然な印象を受けて、
全体として腑に落ちない読後感だった。


これは貫井がSF作家ではないため、設定に甘さが出たのだ、
という考え方もあるが、別の可能性も考えられる。
それは、この作品のテーマが「人を信じられるか」であるからだ。
殺人事件が起こり、尊敬する座長が容疑者になって、劇団員たちは動揺する。
ある者は新條をかたくなに信じ、ある者は冷静に疑い、ある者は冷酷に見限る。
その中で和希はひとり態度を決めかねて迷い続ける。少女の正体にしてもそうだ。


正直、読んでいてイライラするものであるが、
しかしそれは読者に判断をゆだねる作者の意図とも取れる。
新條を信じる者は、基本的にそうすることに理屈はない。
何か理屈があってもそれは後付けで、それ以前に既に信じているのだ。
たとえどんな状況証拠が挙がっても、あの新條さんがそんなことするはずがない、
というのが彼らの信念である。
それに対し、確かに新條を尊敬はしているが、
同時に情報を吟味して事実を冷静に見つめなければならない、
というのが疑う側の立場である。
前者が感情的、後者が論理的ともいえるかもしれないが、
新條の事件にしても、少女の正体にしても、
結局真実を知りえない立場にある人間(和希と読者)が、
それでもキャラクターの言うことをどれくらい信じることができるか。
作者は最後まで不完全な情報しか読者に与えないことによって、
人を信じる気持ちを持っているかどうか、読者を試そうとしている。


そうなると、和希に「なんで新條をもっと疑わないんだ」とイライラし、
少女の正体もいまいち納得し切れなかった僕は、
結局のところ「人を信じることができるか?」という作者の問いかけに、
「できない」と知らないうちに答えていたことになるのではないか。
もちろん作者のストーリーテリングの問題である可能性も考えられるが、
しかし、と考えずにはいられなかった。



こういった「読者を試す」話としては、
藤野千夜「ルート225」(理論社新潮文庫)があった。
あれはパラレルワールドに迷いこんだ姉弟の話で、
ラストにおいて主人公の女の子は、自分の不思議な体験を話しても、
この世界の人間は誰も面白がってくれないと言う。
つまり、僕たち読者が彼女と同じ世界にいるのか、それとも別世界にいるのかが、
「ルート225」を読んで面白いと思ったかどうかで判定されるというわけだ。
そのたくらみにおいて二作は共通している。
あくまで外部から鑑賞者として本を読んでいた僕たちは、
いつの間にか物語の構造の一部に組み込まれているのだ。
その意味で本作も、「慟哭」同様に作者の性格の悪さが遺憾なく発揮されている。