DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

 エマニュエル・カレールの『口ひげを剃る男』(原題La moustache, 1986年、翻訳田中千春、河出書房新社 Modern & Classic, 2006年)を読んだ。

 ジャン・フィリップ・トゥーサンが推薦している――というのが、ワナといえばワナである。事件らしいことが何も起こらない小説を書くことで有名なこの作家は、

『口ひげを剃る男』でぼくが気に入ったのは、出発点のなんでもない状況――男が口ひげを剃り落とし、誰もそれに気づかない――が、無数の物語の展開する可能性を生み(略)その単純な冒頭とその後の展開とのコントラストだった。

 と絶賛している。ならば――と、読む者として期待する。これはきっと、口ひげを剃るという些細な行動が、未来に影響を及ぼして大騒動になっていく――あくまでもリアリズムにのっとって。そんな話ならぜひ読みたかったのだが、予想は裏切られる。ある種の人には読み慣れたものだろう――フィリップ・K・ディックの『流れよ我が涙、と警官は言った』とか、筒井康隆の『緑魔の町』とか、ヴァン・ヴォークトの『非Aの世界』とか、あの辺だ。主人公がある日突然、今まで自明のものとしていた現実とは違う世界に放り込まれるという、ああいう。
 主人公は平凡な男――結構売れている建築家らしいのだが、その点は特に物語に利いてこないので、「どこにでもいる平凡な男」という印象。彼は口ひげを生やしており、これは自分でも似合っているとひそかに自慢だった。毎日念入りに、時間をかけて手入れしているくらいに。それをほんの悪戯心で剃り落としたときから、奇妙なことが起こり始める。何と妻が、自慢の口ひげがなくなったことに気づいてくれないのだ。もしかして「ふり」をしているのかと思ったが、自分から妻にひげがなくなったことを指摘してみても気づかないどころか、元々口ひげなんか生やしていなかった、などと言い出す。あまつさえ、はっきり口ひげが生えている写真を見せても、いや生えていない、というのだ。
(以下ネタバレ含む)
 そこからは急速に話がおかしくなっていく。男は何とか自分が口ひげがあったこと、それを剃ったことを認めさせようと、友人たちに電話をかけまくったり、ゴミ箱から先ほど剃ったひげを拾い出してきて見せたりするが、うまくいかない。どころか、自分がおかしいのではないか、という疑惑が自分でも否定できなくなり、ついに精神科医にかかることになる。だがおかしいのは口ひげだけではなかった。健在だったはずの父が死んでいたことになっていたり、行ったはずの思い出の旅行が行っていなかったことになっていたり。
自分の記憶のよすがを喪った彼は、突発的に飛行機に乗ってパリを脱出、香港の街をさまよう。しかし逃げることは許されず、妻はいつの間にか、まるで一緒に旅行に来たという風にホテルにいる。そして彼は最後の「脱出」を試みる――
 こう、ひげの話の時点で、ははあ、主人公は異次元に迷い込んだのだな、と思う。きっと歴史が変わっていたりすることが明らかになりつつ世界観が見えてきて、何だかよくわからない生き物が現れたり、ドラッグが出てきたりして、この事件が解き明かされるのだ。
 しかしこの小説、主人公がひげにこだわるばかりでなかなか進まない。あまつさえ現時点すらリアルタイムで書き換わっていくのを見ると、単に異次元とは違うややこしい世界に入り込んだらしい、と思う。まあしかしディックなんかを考えればありえないことではない。しかしどうも違うのだ。話はあくまで個人の周りをまわっていくばかりで、いつまで経ってもその外側がどうなっているのかわからないし、主人公もまたそういうことを考えようともしない。もしかしてこの人はSFを読んでいないのではないか――と不安になってしまう。SFを読んでない人が、SF的なものを思いついて書いてしまったのではないか――そんな居心地の悪さが、なんやかやで120ページ近くも続く。一体何が起こったのか、別次元に迷い込んだのか、宇宙人の侵略にでも遭っているのか、変化は前から起こっていたのか、口ひげを剃ったときに起こったのか、まさか口ひげが世界を正常に存続させていたとでもいうのか――一切はわからない。
 実際のところ彼はSF作家である。内容はわからないが本作の翌年に書かれた『ベーリング海峡』は(どこのか知らないが)SF大賞を受賞し、フィリップ・K・ディックの評伝『俺は生きているがお前たちは死んだ』も書いている。まさかトゥーサン推薦の作品がこのようなものだとは。
 この話が先に挙げたディックらの作品と違って残酷なのは、「我慢すればできなくもない」変化であるということだろう。起こる変化といえば、お気に入りの口ひげがなかったことになっていたとか、父親がすでに亡くなっていたとか、思い出の旅行が行ってなかったことになっていたとか――確かにショックではあるけれども、社会的地位はなくなっていないし、周囲もいつも通りに接してくれているのだから、耐えられなくもないのである。実際もっとハードな変化に耐えていく話が、北村薫の『スキップ』や、藤野千夜の『ルート225』であった。
 しかし彼は、ひそかな自慢だった口ひげを喪うという「現実」に耐えられなかった。そのラスト――口ひげの有無もわからないほどに剃刀で顔を切り刻んでから喉を切り裂くラストは、凄惨であるとともにとても哀しいのである。
 この作品、読んだあとの気分として、名作というほどではない。せめて短編集の一編であったら、と思う。こんなレベルの作品が数編入った短編集があれば、それは一生忘れられないものとなるだろう。
 本作は作者自身の手で映画化されたらしいが(というか、だから訳されたわけだが)、あまり見たいとは思わないかな…