DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

佐々木俊尚『「当事者」の時代』A、フランク・ティリエ『シンドロームE(上・下)』B

【最近読んだ本】

佐々木俊尚『「当事者」の時代』(光文社新書、2012年)A

 ツイッターでの議論が「マウントの取り合い」と揶揄されるように、人は往々にして、議論のときはまず自分を優位において、安全圏から一方的に意見してやろうとするものである。本書はそういった思考構造を「マイノリティ憑依」と呼び、戦後の左翼系知識人にその源流を見出す。

 それは自身をなにかの被害者であると規定したり、逆に加害者であるがそれを自覚しているという点で自分は一歩進んでいると主張したりと様々だが、常に自身を(実態がどうかはともかく)迫害されるアウトサイダーの立場におく。実のところそういった思考形式は、戦後日本のみならず、歴史上さまざまなところで見られるはずのものであり(有名な例ではデカブリストなどがそうだろう)、その根源を左翼系知識人に帰するのは少々無理があるように思える。

 しかし、その議論のために、小田実津村喬太田龍本多勝一など、最近では著書に触れるのも難しいような人々を紹介しているという点で、とても貴重な本である。ここは無類に面白いのだ。まさか彼らの名前を新書で目にすることになるとは思わなかった。

 

フランク・ティリエ『シンドロームE(上・下)』(平岡敦訳、ハヤカワ文庫、2011年、原著2010年)B

 とある映画コレクターが急死し、遺されたコレクションが売りに出された。そこへあるコレクターがいちはやく駆けつけて、正体不明の短編映画のフィルムを買い取る。わくわくしながらその映画を再生した彼は、突如として失明してしまう。

 この事件を発端に、その映画の分析から浮かびあがる、とあるカルト映画監督にまつわる悲劇、その映画のフィルムをめぐり巻き起こる闘争、そして現在進行中の連続殺人事件が絡み合い、「シンドロームE」をキーワードに現代史の巨大な闇が暴かれていく。

 サブリミナル効果や集団ヒステリーなど、やや古い精神医学的なネタが駆使され、幻覚に悩まされる精神的に不安定な主人公もあいまって、人間の精神のバランスの危うさというものを印象付ける作品になっている。

(以下ネタバレ)

 惜しい作品である。鈴木光司の『リング』(1991年)を想起させる導入にはじまり、催眠やサブリミナル効果のような心理学的な道具立てを巧みに使うストーリー展開は松岡圭祐の『催眠』(1997年)のようであるし、事件を追ううちに現代史の暗部が浮かびあがってくるところは浦沢直樹の『MONSTER』(1994-2001年)のようであり、明かされるシンドロームEの正体は、人間の内部に潜む暴力衝動を解放するプロジェクトということで、伊藤計劃の『虐殺器官』(2007年)を思い出させる。

 面白いのだが、常に何らかの先行作がちらついてしまうのである。これさえなければ傑作であったと思うのだが。

 本作は、二つのシリーズの主人公がそれぞれに悲劇的な事件を経て出会い、タッグを組むというファンサービス的なもので(この辺も松岡圭祐のようだ)、このあともシリーズはどんどん続いていくようなのだが、日本で訳されているのはこのあとの『GATACA』までで、それ以降のシリーズは未訳、調べてみたが英訳もないらしい。サブリミナル効果を大真面目に扱うなど、ややトンデモっぽいのがウケなかったのかもしれない。

 しかし読み飛ばしたのかもしれないが、失明した男は結局どうなったのだろうか?カウンセリングを受ければ見えるようになるものなのだろうか?

ドミニク・ラピエール、ラリー・コリンズ『パリは燃えているか?(上・下)』A、エーネ・リール『樹脂』B

【最近読んだ本】

ドミニク・ラピエールラリー・コリンズパリは燃えているか?(上・下)』(志摩隆訳、ハヤカワ文庫、1977年、原著1965年)A

 ナチスによる4年に及ぶパリ占領からの解放を描いた、ノンフィクションの歴史的傑作である。ナチスフランス軍レジスタンス、パリ市民と、あらゆる視点から、当時の関係者へのインタビューに基づきパリ解放という「歴史的事件」を描き出す。その叙述は、数ページごとにどんどん主人公がめまぐるしくかわって進んでいくという恐るべきものであるが、「ナチスからのパリ解放」という大目的がはっきりしているためか、意外に読みやすい。

 パリ解放といっても連合国軍側も決して一枚岩ではなく、解放後の主導権をめぐってドゴールや共産党レジスタンスの先陣争いがあった――というのは知っていたが、そのあたりの駆け引きが微細に描かれる。そもそも連合国軍としては、パリを解放するとその後の必要な食料や燃料が膨大なものになるので、素通りしたがっていたのを必死の交渉でパリに向かわせたとか、連合国軍よりもヒトラーの送った援軍が先についていたらコルティッツ率いるパリの占領軍も降伏せず戦わざるをえなかったとか……パリが廃墟になりえた可能性は実はいくつもあって、それが偶然によってことごとく回避されたところにパリ解放があったという、読み終えてみると歴史の不思議さを思い知らされる。

 終盤は、パリ解放を目前に何人もの兵士やレジスタンスや一般人が無情にも次々に倒れていく。それが想像ではなく、生き残った人々の目撃証言に基づいているところに、事実の重みというものが迫ってくる。新版では沢木耕太郎が「現代ノンフィクションにおける叙述スタイルの革命は、この著者の、この作品から始まったのだ」と述べているようだが、確かにこの規模の作品は後にも先にもそうそうないものだろう。この作者の他の著書も読みたいものであるが、プレミアがついていてなかなか入手困難らしいのが残念である。

 

エーネ・リール『樹脂』(枇谷玲子訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2017年、原著2015年)B

 変な小説である。一応北欧ミステリとして、北欧の「ガラスの鍵」賞を受賞した作品であるが、ミステリであるというよりはノンフィクションやドキュメンタリーに近い。

 中心にいるのはひとつの家族である。ある町の外れにある、細い道でつながった離れ小島にその家族だけで住んでいる。町の人間とはほとんど交渉がない。

 読んでいると、ロシア帝国の時代から文明から離れて生きてきた一族を描いた『アガーフィアの森』を想起させるが、そこまで隔絶されているわけではない。町の人の機械の修理などを請け負って、自宅の農園で肉や野菜を手に入れてはいるが、それだけでは足りず、深夜に町に入りこみ、民家に忍び込んで食料や日用品を盗み出したりしている。そんな風にして、おそらく何代にもわたって暮らしてきた家族。それゆえに、死と生に関して特殊な価値観をもち、

 しかし現代においてはそのような生活がいつまでも続くわけはなく、外部からのささいな干渉が、やがて崩壊へとつながっていくことになる。(以下ネタバレ)

 正直、ミステリ的な部分にはさほど感興を覚えない。死んだ家族を樹脂でかためて保存するというネタは、過去に類例をみたことがあるし、特異な価値観の家族の中で育った子どもの純粋さや残酷さというモチーフも、道尾秀介の『向日葵の咲かない夏』のほうがよほど鮮烈であったと思う。

 しかし、読み終えたとき、一つの家族の歴史がこれで終わったのだ、という感慨があった。良い悪いは別にして、現代の文明が、昔ながらの文化を否応なしに一方的に吞み込んでいく、これはそういう物語である。その変化に適応できない人間は、適応した風を装うか、消えていくしかない。ひとつの寓話として読むべき作品であると思った。

藤野可織『おはなしして子ちゃん』A、司城志朗『存在の果てしなき幻』B

【最近読んだ本】

藤野可織『おはなしして子ちゃん』(講談社、2013年)A

 奇想小説と呼ぶのにふさわしい短編集である。標本の猿がしゃべりだすとか、人魚のミイラ(の作り物)が意識をもっているとか、写真を撮ると必ず心霊写真になるとか、ややグロテスクなアイデアで、意識がツッコミを入れる隙を与えずに最後まで読まされる。多くは分類不能な、「変な小説」としか言いようのないものであるが、「美人は気合い」のようにSFの意識が強いものもあれば、のちに長編化した「ピエタとトランジ」のような、ミステリのパロディのようなものもある。自由なようでいて、かなり計算されて書かれているようにも思える。

 正直『爪と目』で話題になって以来、あまり興味がわかずに敬遠していた作家だったが、これはもったいなかった。この系列の作品集としては2020年の『来世の記憶』があるだろうか?

 

司城志朗『存在の果てしなき幻』(カッパノベルス、2001年)B

 矢作俊彦の共作者としての印象が強い著者の単独作である。さすがにベテランという筆致で最後まで読まされた。

 人材派遣会社の社長を営む男が、ある日突然娘が事故にあったという報せを受けるが、病院に駆けつけると入院の記録はない。狐につままれた面持ちで家に帰ると、妻も娘も失踪している。自身の会社はいつの間にかビルからきれいに消えている。知り合いに連絡してみてもはっきりしない。

 好きなシチュエーションで、ここまで不条理な状況に設定しながら、最後にちゃんと説明がつくことに感心した。冒頭の電話を受けるシーンは、まあ初見でわかるわけがないが、読み返すとうまくだまされたという気になる。

 ただ、主人公の追い込まれる状況があまりに過酷で、そこでちょっと楽しめなかった。最後は前向きに終わるのが、唯一救いではあった。

安原顯『畸人伝・怪人伝 シュルレアリスト群像』A、ソウルダッド・サンティヤゴ『婦警トーニの爛れた夏』A

【最近読んだ本】

安原顯畸人伝・怪人伝 シュルレアリスト群像』(双葉社、2000年)A

 ガラ(ダリを天才に仕立てあげた女性)、アルトーバタイユルーセルの4人の伝記――というより、彼らについての安原が気に入った評伝を紹介した本。もとは『鳩よ!』で10人ほどの畸人・怪人を紹介しようと連載していたのが、雑誌が廃刊になったため、4人分をまとめて単行本にしたものだという。このあとはルイス・キャロルが予定されていたようである。

 これは意外な発見だが、彼らのやぶれかぶれな生きざまは、真面目でも心酔でもなく、安原顯のやや揶揄的な文章がよくあっている。どう価値づけようとも、シュルレアリストたちのやることはいいところ「悪ふざけ」なものが多いわけで、それを語るにはそれにふさわしい文体があるのだ。

 安原自身の自慢めいた回想も差しはさまれ、安原顯の著書としてはあまり目立たない位置にあるが、読んで損のない一冊である。

 

ソウルダッド・サンティヤゴ『婦警トーニの爛れた夏』(村上博基訳、新潮文庫、1989年、原著1988年)A

 原題はUNDERCOVER(覆面捜査官)。ちょっといかがわしい邦題ではあるが、そういうシーンがないわけではないものの、いたってシリアスなサスペンスである。

 婦人警官のトーニは、麻薬中毒の弟の起こした火事で、弟のみならず愛する娘を喪ったという心の傷をもっており、それゆえに麻薬による犯罪をなくすために、生まれ育ったマンハッタンの下町での危険な勤務を自ら希望する。

 だが、昔の捜査記録を偶然目にした彼女は、弟と娘の死が、火事に見せかけた殺人であったことを知ってしまう。彼女は真相をさぐるために、娼婦に身をやつし、麻薬取引の現場に自ら飛び込み、孤独な捜査を続ける。

 トーニは真相を探ろうと裏社会に深入りする内に麻薬中毒に陥ってしまい、一方では警察の同僚とは幸せな恋愛も始まりつつあり、不幸と幸福の大きな振幅のなかで、向かう先は破滅か救済か、というスリルで一気に読ませる。それはストーリーが面白いからということではないのだが、とにかく最後まで読ませる力は持っている。

 明かされる真相はそれほど意外性もなく(あの男が真犯人になるかと思ったのに)、ここまで追い込まれてハッピーエンドなのが意外といえば意外であるが、おかげで読後感は悪くない。

 女性の立場で男社会の犯罪にどう立ち向かうか、というテーマを描いている点で、フェミニズム文学からも再評価されるべき作品と思うが、やや狙いすぎた邦題のせいもあってか、他の作品は訳されないままになってしまったらしい。アマゾンでも2,3冊ながら他の作品もあるようで、いつか読んでみたいものである。

飯田譲治『NIGHT HEAD2041(上・下)』B、アンドレアス・グルーバー『黒のクイーン』B

【最近読んだ本】

飯田譲治『NIGHT HEAD2041(上・下)』(講談社タイガ、2021年)B

 1992年~1993年に放映され、豊川悦司武田真治の主演でカルト的な人気を博したドラマ『NIGHT HEAD』のリメイク作品。原作者自身によるノベライズで、先行して放映されているアニメの語りきれない心情や背景を補うものになっている。

 しかし、わざわざ30年ちかくを経て再びアニメを作った意味はあったのか、どうか。舞台となっている未来社会は、宗教や超能力といった概念がタブーになり、口に出すことすら国家によって規制されている(『AKIRA』が禁書として出てくる)、奇妙な管理社会である。これが、作者の意図に反して、読んでいてまったくリアリティを感じず、物語の世界に入りこむのに時間がかかった。また、ミラクルミックなど、旧作の設定を引きついだキャラも多数登場するものの、双海翔子が神秘的な雰囲気が薄れてツインテールの見た目は普通の女の子になっていたり、奥原晶子が見た目通りのおばあさんになっていたり(旧作では本当は若いが能力を使ったことで老化が進んでいる)と微妙に違うのも、やや気に障るところである。直人といえば豊川悦司の顔が浮かぶので、眼鏡をかけているのもなにか違和感がある。

 とはいえ、終盤の迫力はやはり飯田譲治の本領発揮というところである。考えてみれば、飯田譲治の作品は、精神世界をめぐる考察以上に、追い込まれた人間の心理やふとしたところでのぞかせる普通の人間の悪意といった要素に特色があったように思う。旧作は一話完結のロードムービー型の構成だったため、一話ごとに「クライマックス」が見られたが、今作は長編になったことで、クライマックスは終盤に持ちこされることになってしまった。正直なところ、中心となる兄弟のドラマよりも、翻弄される周囲の人間たちのドラマこそが、読みどころなのではあるまいか。

 とはいえやはり現代において『NIGHT HEAD』を再構築するのは限界を感じる。宮台真司が『終わりなき日常を生きろ』で引用したように、旧作のドラマは、「何かが変わろうとしている」という90年代の気分をいわば借景のようにして利用し、超能力者の兄弟の物語が大きな時代の流れの中にあるということを読者に感じさせる力をもっていた。作者はまだその「気分」を維持しているようだが、社会の大部分からそれが失われた(と思われる)今では、我々の物語として受け入れることは難しいだろう。

 

アンドレアス・グルーバー『黒のクイーン』(酒寄進一訳、創元推理文庫、2014年、原著2007年)B

 主人公はウィーンの保険調査員ペーター・ホガート。ある腕利きの調査員が、とある高名な絵画が焼失したという事件の真相を追ってプラハに行き、同地で失踪する。それを追って、彼もまたプラハに赴く――という発端で、地道な聞きこみから始まる。これで、足を使って解決する地味なミステリを期待していたら、80ページほど読むと急展開して、運と閃きがものをいうアクション満載のサイコサスペンスに様変わりする。決してつまらなくはないが、この落差はちょっと戸惑う。

(以下ネタバレ)

 サイコサスペンスとしては、二重人格、幼児期のトラウマ、街をゲーム盤に見立てたチェスなど、幻想の街プラハという舞台もあいまってスタンダードな要素がてんこもりだが、2007年の小説としてはやや古い気もした。それにどうも、重厚にみせて活劇調なのも気になる。かなり最初のほうで、ヒロインとなる女性探偵の家で、何者かの襲撃を受けて、火炎瓶を投げこまれ、命からがら脱出したところを銃撃されるという、割と派手なシーンがあって、ここから一気に雰囲気が変わる。しかし、こんなテロまがいの事件があったら街全体が非常事態になりそうなものだが、そうなるわけでもなく、マスコミに追われるでもなく、主人公と二人は捜査を続行する。この辺、勢いに任せて話を進めている感じで、こんなことをしている場合なのだろうか、という疑念はずっとつきまとった。わからないといえば、これはチェスのルールを知らないせいかもしれないが、なぜ古い棋譜の再現にやたらこだわるのかもよくわからなかった。

 とはいえラストの立ち並ぶ倉庫での犯人と主人公たちの対決は、これもよく見る舞台設定ではあるが迫力がある。虐待への復讐というテーマは海外ミステリでは時に倫理をも無視する凄まじい勢いがあり、社会における根深さを垣間見せてくれる。

 主人公はやや皮肉っぽさが鼻につくが、どんな事態にも落ち着いて対処する冷静さがあって良かった。他のシリーズも読みたいのだが、訳されていないらしい。

『徳川夢声の問答有用1』A、ウルズラ・ポツナンスキ『古城ゲーム』B

【最近読んだ本】

徳川夢声の問答有用1』(朝日文庫1984年)A

 話術の名手として知られた徳川夢声(1894~1971)は、1951年~1958年にかけて週刊朝日で「問答有用」という有名人との対談記事を連載しており、それは単行本全12巻として刊行されたが、その中の42編を選び、全3巻として朝日文庫で刊行した、その第1巻が本書である。

 尾張徳川家当主の徳川義親を第1回として、その後は薬師寺管長の橋本凝胤、吉田茂清水崑が同席)、正力松太郎湯川秀樹志賀直哉吉川英治柳田國男、北村サヨ(「踊る神様」として有名な宗教家)、山下清(付き添いに式場隆三郎)、織田昭子(織田作之助の晩年の妻)、今東光田中角栄長島茂雄と豪華な顔ぶれである。

 どうやら録音はしていなかったらしいのがもったいない――というのは、我々が読めるのはかなり編集されたものらしいからで、対談はいずれもよどみなく進んでいくから、徳川義親がシンガポール陥落のときに逃げ出したイギリス人の家に侵入して貴重な本や美術品を「保護」したとか、北村サヨが藪から棒に大宅壮一を罵倒しはじめたとか、ややきわどい話まで、いったいどうやって夢声がお話を引き出しているのかはよくわからないのである。

 『話術』なんて本を見ると、座談では「自分の話ばかりしない」などと一般論的なことが書いてあるが、こちらを読むと相槌だけでなく2,3行しゃべることも結構あるし、吉川英治には『宮本武蔵』の朗読劇の裏話を逆にインタビューされているのはまだ良い方で、正力松太郎にはテレビを民営にするか公営にするかで議論をふっかけたり、橋本凝胤との対話では、天動説を主張する凝胤と反対する夢声とで喧嘩になりかかったなどという裏話がある。読むうちに夢声自身の、庶民的な感覚をもちつつ風流も解する多面的な人柄も浮かびあがってくる構成で、なるほど座談の名手というのもうなずける。

 吉田茂とは政治家の似顔絵について不満を言い、今東光とは寺の収入について突っ込み、田中角栄とは演説の名手としてどもりの治し方について議論し、柳田國男とはアナウンサーらしく方言について語り、志賀直哉とは小説の話より犬や鳥の話ばかりし、湯川秀樹には自身の宇宙論を語りと、有名人だからということもあるだろうが、本業の話題を離れてかなり自由である。織田昭子の語る織田作之助の臨終では、いま書いている小説の話ばかりしているので遺言をとれなかったなどという話もあって泣かせる。

 解説は三國一朗。この連載が、夢声が座談の名手としての名声を確立する前の、おおきな挑戦であったという背景が語られ、名解説といえる。

 

ウルズラ・ポツナンスキ『古城ゲーム』(酒寄進一訳、創元推理文庫、2016年、原著2011年)B

 知らなかったが、ドイツ圏ではLARP(ライブ・アクション・ロールプレイングゲーム)なるゲームが流行っているという。参加者たちは現実世界をファンタジー世界や終末後の世界に見立てて、その設定のもとに何日間か仲間たちと生活するのである。古城や深い森が残るドイツならではというべきか、日本ではサバイバルゲームはあるけれど、特殊な設定下で何日もというのはちょっと難しそうだ。

 本書はそれを題材にした500ページ近いミステリである。森の中を14世紀風ファンタジー世界に見立てて10名以上で生活するゲームに、医学生のバスチアンは誘われて参加するが、参加者の失踪や大けがなどのアクシデントに見舞われる。外部との連絡も絶たれて孤立する中で、ファンタジーと現実の境界があいまいになり、あくまで設定と思っていた、その地に伝わる呪いの伝説が彼らを恐怖に陥れる。

 個人的にはあまり楽しめなかった。そもそもこのLARPなるゲームがあまり魅力的に思えなかったのがいけなかったと思う。500ページ近くの前半はほとんどゲームの説明なのだから、ほとんど読み飛ばしてしまった。それに主人公のバスチアンがいまいち煮え切らなくて、なかなか初対面の人たちになじめないのも良くない。終盤で怒涛のごとく明かされるゲームの背景も、少々無理を感じた。

 ただ事件のあと、それぞれのキャラの「その後」は良かった。必ずしも善人が報われ悪人が罰せられるといったものではなく、さんざん迷惑を掛けたキャラがずうずうしく主人公の前に現れたり、さんざん苦労した人が不幸になっていたり、何もなかったことにして日常を送っていたりと、必ずしもすっきりと割り切れない。これは何なのだろう?と思ったが、解説で作者がヤングアダルト系の人気作家と知って、腑に落ちたと思う。これはミステリではなく、ヤングアダルト小説なのだ。テーマは謎解きではなく、青春の苦さだったということなのだろう。

 

小野一光『風俗ライター、戦場へ行く』B、鷲田旌刀『放課後戦役』A

【最近読んだ本】

小野一光『風俗ライター、戦場へ行く』(講談社文庫、2010年、単行本2001年)B

 ある種、狂気の記録といえるのかもしれない。白夜書房のライターだった著者が、失恋のショックで1989年、23歳の夏に海外に行き、香港、タイを経て、なりゆきでカンボジア密入国し、戦場を目の当たりにする。その後も取りつかれたように、湾岸戦争アフガニスタン内戦、9・11テロ、自衛隊イラク派遣など、紛争のたびに出かけていく。その割に、「ボク」の視点から凄惨な戦場はあくまで軽く語られる。みずから「取材にかこつけた見物」と認めてみせる。危ないところには決して近寄らない私には信じがたいところである。

 だが、読むうちに飽きてきてしまう。刺激をもとめて紛争地に行くことにして、苦労して入国し、危ない目にあって来たことを後悔するが、紛争地につくと度胸がついて取材をし、凄惨な戦場を目のあたりにして戦争へのやりきれなさを抱き、そして帰るときはもう二度と戦場には行かないと誓う。しかし帰国してしばらくすると、また刺激をもとめて紛争地へ――というパターンがくりかえされる。空爆下のカブールで結婚式の音楽を演奏し続けたミュージシャンへのインタビューや、子どもを狙って投下されたおもちゃ型の爆弾の話などは印象に残ったが、しかし無駄が多い。ひとつの紛争地についてじっくり読んでみたい――というのは、他の著書でということになるのだろうが。

 

鷲田旌刀『放課後戦役』(コバルト文庫、2002年)A

 久しぶりに読んだ。思い出補正もかかっていると思うが、やはり面白い。

 崇高な教育理念を掲げた大学生組織「エミイル」は、活動を通じて次第に過激化していき、長野や新潟を根拠地に、国家に対して武装蜂起を開始する。自衛隊がのきなみ海外の紛争に派遣されている最中の事件であり、隙を衝かれた政府は、警察部隊が手もなく撃退されたことから、高校生からなる戦闘部隊「高等生徒隊」を組織する。主人公もまた、高校入学とともに、エミイルと戦う兵士になるべく訓練を受けることになる。訓練を通してかけがえのない仲間を得る少年たちだが、その背後では戦争終結のための陰謀が、少年たちも巻きこんで進行していた――

 という感じで、250ページに満たない中にずいぶん詰めこまれている。異色作ともみえるが、先行してコバルト文庫須賀しのぶの『キル・ゾーン』があってこそ認められたものだろう。

 こういうジャンルのマニアが読めば色々ツッコミどころはあるだろうが、ミリタリーサスペンスである以上に、本作は少年たちが戦争に正面から立ち向かう、古き良きジュブナイルとして完成している。

(以下ネタバレ)

 中盤から少年たちが参加する、戦争の指導者を拉致して停戦の交渉につかせるという作戦は、しかし大人たちの思惑でひねりつぶされ、友情を犠牲にしてまで理想に身をささげようとした少年も、戦闘のなかで自分の役目を果たそうとした少年も、次々に死をむかえる。すべてが徒労に終わった彼らの前で、ついに自衛隊が帰還し、大規模な鎮圧作戦が始まる。

 少年たちのオトナ社会への反抗と挫折、そしてその中で確かにあった美しい絆という、ジュブナイルのひとつの典型をなぞりながら、ハードな戦争ものを展開する本作は、個人的にはコバルト文庫のベストに入る。明治ていかのイラストも、暗い戦時下と少年の純粋さを描き出していて良い。

 作者はコバルトで三作ほど書いたのち、政治家になった。ネットでもラノベを書いた政治家として話題になった覚えがある。清水朔や友桐夏など、かつてのコバルト作家がリバイバルする昨今、ぜひ新作が読みたいと思う。