DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

井上靖『真田軍記』B、コニー・ウィリス『航路』上・下B

【最近読んだ本】

井上靖『真田軍記』(角川文庫、1958年)B

 200ページに達しないくらいの薄い文庫本に、8編の短篇小説が入っているということで、軽い読み物程度のつもりで読みはじめたら、なかなかどうしておもしろかった。

 おもしろかったのは、ほとんどがWikipediaにも立項されていないような無名の人びとの物語であること(ちゃんと史料に載っている名前であることは、井上靖自身があとがきで触れている)、多くは彼らの死に至る物語を鮮烈に描いていること、そしてその多くが彼らの人生最大の意地を張る瞬間を描いていることがあげられるだろう。

 たとえば、「真田軍記」の一編として、「海野能登守自刃」というのがある。武田氏の部将小山田信茂の家臣・海野昌景は、72歳にして、自分をろくに使ってくれなかった武田氏に見切りをつけて一族とともに出奔する。その後彼は真田昌幸に気に入られ城を与えられるが、真田もまた彼を警戒して討手を差し向ける。昌景は死を受け入れるが、彼らに殺されるのは潔しとせず、さんざんに敵を殺したのち息子と差し違えて死ぬ。意地を張って老齢ながらすべてをすてて出奔し、やはり意地とともに自ら死ぬ。

 あるいは「高嶺の花」では、ある小さな村にいた美人が、ある武家に嫁いでいったというところから始まる。彼女にひそかにあこがれていた男が、大坂の陣に参加して、彼女が嫁いでいった男に再会して、味方と思って油断していた彼を刺してしまう(この、何者かが味方を刺した事件だけが史料に残っているらしい)。戦場で錯乱したのだろうということで大した咎めもなく帰されるが、これもまた、どうにもならないことへの意地である。

 別に彼らは歴史を動かしはせず、史料の片隅に数行のこっているにすぎない。しかしそこで、たいした意味はなくても抵抗を見せるところが、なんとなく自分にも理解できるような気がするのだ。

 井上靖歴史小説を、もっと他に読んでみたくなった。

 

コニー・ウィリス『航路』上・下(大森望訳、ソニー・マガジンズ、2002年、原著2001年)B

 評判は知っていたが、あまりにも評判が高すぎて、面白さがわからなかったらどうしようかという不安があり、今まで読んでいなかったという本である。

 で、おもしろかったのだが、しかし自分の中でのベストといえるかというと、ちょっと微妙なところがある。

 なにしろ長い。上下巻2段組であわせて800ページのあいだ、ほとんど事件らしい事件は起こらない。ある心理学者のコンビ(頭のなかでスカリーとモルダーをなんとなく充てていた)が臨死体験とはなにかを研究していて、どうしても他人の体験談だけでは不十分なため、自分自身で臨死体験をすることになる。そこで臨死体験を人工的に起こすことができる(もちろん死ぬわけではない)ジテタミンという物質の存在が、ほぼ唯一のSF的な設定で、あとは体験者のインタビューと自分の臨死体験で見たものの考察がほとんどを占める。何人も被験者がいて、その人たちに話を聞くのである。

 そしてこれが、なかなかうまくいかない。作中人物はなにか行動を起こそうにも、会いたい人には会えず、伝えたいメッセージは届かず、言いたいことは伝わらず、記憶は改変され、相手がなにを言いたいのかもなかなか理解できない。それ自体が臨死体験のメタファーになっているのだとは大森望が『読むのが怖い!』で説明しているが、しかしまっすぐ進もうとするストーリーを阻むいろいろなものが、読んでいていらいらした。とはいえそれを飽きさせずに読まされたのは確かにすごいのである。

 ただ、最後は確かに良い話で終わったが、よくわからないところもあって、なかなか釈然とはしない。(以下多少ネタバレ)結局臨死体験というのは、見えるものは人によって違うが、最後には同じところに行くのか? リチャードがずっと夢と同じように扱っていたのに一転して臨死体験によってジョアンナを助けに行こうとしたのはなんだったのか? このあたり、どうしてもオカルトやスピリチュアルの要素が入りこんで来ていた気がして、納得できないところである。